2007年6月6日水曜日

字余り その3の1─謎解き

時間がとれず意外に手間取ってしまいましたが、やっと解説までたどりつけました。

古い和歌で字余りが生じている場合、句の途中に「あ」「い」「う」「お」があるという点まで書いていたかと思います。もう一度いくつか百人一首の例歌を確認しておきましょう。

まずは小野小町の歌です。



はなのいろは うつりにけりな いたづらに わがみよにふる ながめせしまに

第一句の「はなのいろは」という部分に字余りが生じています。この場合は「い」が含まれています。

みかきもり えじのたくひの よるはもえ ひるはきえつつ ものをこそおもへ

これは大中臣能宣の歌です。第五句「ものをこそおもへ」が字余りになっています。「お」が含まれていますね。次は在原行平の歌。

たちわかれ いなばのやまの みねにおふる まつとしきかば いまかへりこむ

第三句の「みねにおふる」が字余りになっています。「お」が含まれています。
その他これ以上例を確認することはしませんが、前回挙げた歌の字余りの句には全て句の途中に「あ」「い」「う」「お」が含まれています。こんな場合を「句中に単独母音が存在していて字余りを生じている」と言うことにしましょう。

この事実そのものには本居宣長もすでに気づいていたようです。しかし、その説明は橋本進吉の研究やそれを受けた佐竹昭広の研究まで待たなければなりませんでした。また、わたしの大学時代の恩師の一人でもある毛利正守先生も、その理解を一段と深められた一人です。

それでは、そもそもどうして句中に単独母音が存在すると字余りが生じるのでしょうか。以上の方々の研究を踏まえて、謎解きをしてみましょう。その謎を解くためには、実は古い日本語の音の特徴について考えなければならないのです。

日本語には、語中で母音が連続する場合には、前の母音が脱落したり、後の母音が脱落したり、合体して別の母音に変化したりして、母音同士の接触を避けるような傾向があったのです。時代が古くなればなるほどその傾向は強まります。

具体的に例を挙げて説明しましょう。「倭名類聚抄」という古い辞書があります。漢語の訓が示されている辞書だと考えて下さい。後撰和歌集の撰者の一人である源順(みなもとのしたがう)がまとめたものです。

その辞書にある「紅藍」ということばに、「くれのあゐ」という訓がつけられています。この訓については、通常、語源的には「呉(くれ)の藍(あゐ)」であると説明されます。中国から伝わった染料あるいはその染料の色だと考えていただけばいいでしょうか。

「紅」という字が含まれていることからわかるように、この「紅藍」というのは、赤系統の染料のようで、今では一般的には「くれない」と呼ばれる色にあたる と考えることができます。つまり、語源的には「くれのあゐ」だけれども、実際に発音する際には「くれない」という形で発音されているというわけです。ローマ字書きしてみると、「kurenoawi」の「oa」が変化して「a」になっていますね。ちなみに、「wi」が現代語では「i」になっているのはまた別の種類の変化です。

もう一つ、先に挙げた小野小町の歌の第五句に注目してみましょう。「ながめせしまに」とあります。高校の古典の授業などで解説を受けた方も多いと思います が、「ながめ」の部分には、「眺め」と「長雨」が掛けられています。「長雨」は本来は「ながあめ」であるはずなのですが、ここでは「ながめ」と読まれているのです。やはりローマ字表記してみると、「nagaame」の「aa」の部分が「a」になっちゃってるわけです。

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