2021年12月23日木曜日

旧暦11/20 アンソロジー

 垂渓庵です。

 現代川柳を概観する上でよい本が出版された。『近・現代川柳アンソロジー』(桒原道夫、堺利彦編 新葉館出版刊)だ。

『川柳カード』みたいな先鋭的な雑誌にもきちんと目配りをした選がなされていて、現代俳句の尖ったところともいい勝負ができるような作品が集まっている。すげえ。

後書きにもあるとおり句本意の選句がなされているようで、さもありなんという人が選ばれているなあと思える一方で、あれ、この人入ってないのというようなことも起こってくる。おれにとって意外だったのは大西泰世さんが入っていないことだ。そんな目で見るのもこのアンソロジーの楽しみ方の一つと言っていいだろう。この一冊が触媒となっていろいろな人にいろいろな思いを抱かせるということになっていくのではないか。

 おれとしてはこのアンソロジーがきっかけとなって世の中に川柳のアンソロジーのブームが起きるといいなと思う。それはともかく、少なくともこれが近・現代川柳の見取り図であり、一つの到達点を示していることは確かだろう。我々はここから進まなければならないのである。と思わず力こぶの入った書き方になってしまった。
 

2021年12月21日火曜日

旧暦11/18 さ、寒い

 垂渓庵です。

 なんかここんとこいきなり寒くなってきた。もともと冬ってこんなものだったのか、昔と比べてどうなのか、ちょっと覚えていない。冬の通学途中では水たまりの水が凍ることがあったように思うけれど、今の時期のことだったのか、正月明けから二月にかけての寒気が厳しくなる頃のことだったのか、すべては忘却の彼方である。が、とりあえず寒い。

寒いといえば、小学生の頃、冬に近所の裏山に行った時も寒かったなあ。小川の水が凍ったり、水しぶきが当たるあたりに丸い玉状の氷がいくつも連なってできていたりした。断っておくが、うちの実家はえらいこと田舎ってわけではない。大阪府下、曲がりなりにも大阪平野のはじっこで、大阪市内に出るのに電車で20分もかからないところだ。

今住んでいるところで水たまりの水が凍ってることなどほとんどない。地球温暖化のせいなのか。と、局所的な気象の変化を安易に温暖化に結びつけていいのかどうかも分からない。とりあえず言えるのは「寒い」ってことである。早く帰って風呂入って寝よう。

2021年12月20日月曜日

旧暦11/17 静岡に何が

垂渓庵です。

mixiのニュースを見ていると、昨日今日とリニア新幹線関連の記事が続けて上がっていた。下の二つの記事だ。

https://news.mixi.jp/view_news.pl?id=6783698&media_id=168

https://news.mixi.jp/view_news.pl?id=6784244&media_id=168

これはあれか。国交省が邦人の帰国に関する失点(下の記事参照)を取り返そうとしているのか。どう取り返せるのかは知らないけれど。あるいは一つのことに注目して継続してニュースを集めていくと思わぬ構図が見えてくるようだ。

次は多分財務省が森友殺人事件の失点を取り戻そうとして何らかの動きを見せるんじゃないかな。

https://www.sankei.com/article/20211202-CYUMQEA64RKGPNVGWBDFQCQYFQ/

2021年12月17日金曜日

旧暦11/14 カウントダウン

 垂渓庵です。

いよいよ年の瀬だ。2学期の授業終了日も近い。授業終了前には当然成績出しやらなんやかんやと業務がある。忙しいことは忙しいが、長期休暇が近いということもあり、あまり苦にならない。 というわけで、このブログも来週にはいったん休止状態に入る。以前の休止が長かったから、中断したらまた更新しないままになるのではないかという懸念がないではないが、アウトプットするにはインプットも必要だ。というほど大層なことをやっているわけではないのでだらだらと更新を続けてもいいんじゃないかと思わなくもないが、家でちまちまと更新するのもなあということもあり、やっぱり中断する次第だ。冬休みが終わったら更新再開のつもりにしている。あ、まだ来週は更新する予定だけどね。

2021年12月16日木曜日

旧暦11/13 「また殺された」あるいは認諾

 垂渓庵です。

森友事件で国あるいは財務省に殺された公務員の奥さんが国を相手どって賠償を求めていた訴訟で、国は裁判に入る前に賠償責任を認めて賠償手続きに入ったらしい。 これを認諾と言うそうだ。要は裁判を行っていくと国や財務省の非が明らかになって絶対裁判に負けると考えたということなのだろう。そういうわけで、1億円という巨額の賠償金をあっさり呑んだというわけだ。決めた要路の方々の懐が痛むわけじゃないからな。あ、良心もないから痛まないのか。

これに対して奥さんは、「ふざけんなと思います。お金を払えば済む問題じゃない。私は夫がなぜ死んだのか、なぜ死ななければいけなかったのか知りたい」と言っていたそうだ。さもありなん。「夫は国にまた殺された」ともおっしゃっていたらしい。

森永ヒ素ミルク事件の民事訴訟において弁護士の中坊公平さんは、乳児の「唯一の生命の糧」に毒物を混入させながら責任を認めない企業、そして「後遺症はない」とした国によって「被害者は、二度殺される」と述べた。1973年の話だ。この国は50年前と何も変わっていない。国民を念入りに殺してくれる素晴らしい国のようだ。先の戦争で死んでいった方々はこんな国になってほしくて死んだのだろうか。アベさんに聞いてみたいものだ。

2021年12月14日火曜日

旧暦11/11 ヨルムンガンドとブラックラグーンと読書

 垂渓庵です。

最近、電車バスに乗っている間はタブレットで動画を見ていることが多い。昔は通勤途中に本を読んでいたものだけれど、通勤途中で本を読むことは絶えてなくなった。最近は子供が手がかからなくなってきたこともあり、家にいる間に本を読む時間を捻出できるようになってきた。もちろん通勤途中も本を読めばいいわけだけれど、『ヨルムンガンド』や『ブラックラグーン』あたりを視聴してからは、読書@家、動画視聴@電車バス、という形が定着している。

逆にならないのは、家で動画を見ていると、子供もずるずるとアニメを見倒してしまうことになるからだ。彼らの視聴に対する貪欲さは端倪すべからざるものがある。下の子は気に入った作品があると、録画したものを飛ばしながらガシガシ視聴を進めていく。上の子は今は一点一画をおろそかにせずアニメを見ており、下の子の視聴方法を批判するけれど、 なーに、自分だって小さい頃は同じようにして見ていたのだ。どちらもアニメ好きなことに変わりはない。同じ穴の狢というやつである。上の子はラノベを中心に活字にも手を伸ばしだしていて、この間は除籍本を学校図書館から大量に貰ってきていた。中にホイジンガの選集があって驚いたが、さてどれぐらい読み進めているやら。

なんにせよ、彼らがもう少し分別がつくまでは電車バスでの動画視聴は続きそうだ。

2021年12月13日月曜日

旧暦11/10 古い映画 

 垂渓庵です。

 学期末の成績出しにはノートのチェックや平常点の算出等を行う必要がある。ほぼ自分のパソコンあるいはタブレットで処理できることだが、最終的な成績を学年の一覧に入力するためには情報処理室のパソコンを使わないといけない。というわけで、成績入力の時期には情報処理室がとても混み合ってしまう。

 パソコンの順番が回ってくるまでへんに時間が空いてしまうことがある。そういう時はタブレットで古い映画を見ることにしている。今見終わったのが『弥次喜多道中記』。遠山金四郎と鼠小僧次郎吉が互いの正体を知らないままに弥次喜多として京まで旅をする話で、花も実もある遠山裁きが最後に見られる。なんかディック・ミネらが扮する本物の弥次喜多が歌を歌うし、楽しい映画だ。遠山金四郎役の片岡千恵蔵もいい味を出している。

次は何を見ようかな。

2021年12月2日木曜日

旧暦10/28 木金土

 垂渓庵です。

 何日か前の夜空を見上げると、明るい星 やや明るい星 すごく明るい星と南から西の方角の空にかけて並んでいた。多分、木星 土星 金星だったんじゃないかと思う。もっと距離が詰まっていたら、結構珍しい現象なんじゃなかろうか。そこらあたり、詳しくは分からないけれど、天文年鑑や天文関係のサイトなどを見ると分かるんじゃないかと思ってみたり。あえて調べないけれど。

それはともかく、木星の衛星のガニメデはホーガンの「星を継ぐもの」でガニメアンの宇宙船が発見された星として思い浮かぶ。金星はやっぱりスタニスワフ・レムの「金星応答なし」だな。土星は。ええと土星は、すぐに思い浮かばない。主な舞台というわけではないが、カート・ヴォネガットの「タイタンの妖女」あたりか。

などと星を眺めながらとりとめもないことを考えた。