垂渓庵です。
いよいよ年の瀬。このところブログの更新をすることもままならなかったけれど、それでも年の瀬はやってくる。
来年はもう少し更新頻度を高めたいと思うけれど、さてどうなるか。
所長のブログを見ていて、未読のラファティの本を読もうと思い立った。愛飲家がとっておきの一本を開けるようなものだな。で、読みだした。やはりラファティはいいと思う。所長の評価はもう一つのようだけれど。
それはともかく、少しもよおしてきたのでトイレに行った。当然本を持って。そこで悲劇は起こった。
そう、大方の皆さんの予想どおり、便座の中に落としてしまったのだ。これを悲劇と言わずに何としよう。あわてて取り出したけれど、本は水を吸い込んでぶわぶわだ。いくら排泄行為に及ぶ前だったからといって、読む気にはなれない。いや、実は読みかけの分だけでも読もうとページを開いたのだけれど、ぬれた本の手触りはあれだ。最悪だ。というわけで、泣く泣く廃棄処分とした。新しいのを買わないといけない。
なんだか最低の締めの記事となってしまった。ともかく、来年もよろしくお願いします。
2013年12月31日火曜日
2013年12月22日日曜日
旧暦11/20 西岡棟梁の対談本とCDブックの関係
少しでも更新頻度が上がればいいなの垂渓庵です。
前回、西岡棟梁が農業高校に通っていたと書いた。正確には「農学校」だったので訂正しておく。
「斑鳩の匠宮大工三代」という対談本がある。西岡棟梁のよき理解者である青山茂さんを相手に棟梁が自己の人生や信念を存分に語った本だ。
棟梁が亡くなった際、この本の元となった対談が「西岡常一 宮大工の仕事を語る」という表題でCDブックとして発売された。全10冊にもわたるものだ。もともとカセットブックとして発売されていたらしいが、amazonなどで見る限り、「斑鳩の匠宮大工三代」と出版元が異なっているようだ。どういう経緯で発売されることになったのかよく分からない。
そのあたりについては、CDブックに全然触れるところがない。というわけで、わたしもCDを聞き進めるまで、「斑鳩の匠宮大工三代」との関係に気付かなかった。ひょっとしてカセットブックには何か触れるところがあったのかな。
前回、西岡棟梁が農業高校に通っていたと書いた。正確には「農学校」だったので訂正しておく。
「斑鳩の匠宮大工三代」という対談本がある。西岡棟梁のよき理解者である青山茂さんを相手に棟梁が自己の人生や信念を存分に語った本だ。
棟梁が亡くなった際、この本の元となった対談が「西岡常一 宮大工の仕事を語る」という表題でCDブックとして発売された。全10冊にもわたるものだ。もともとカセットブックとして発売されていたらしいが、amazonなどで見る限り、「斑鳩の匠宮大工三代」と出版元が異なっているようだ。どういう経緯で発売されることになったのかよく分からない。
そのあたりについては、CDブックに全然触れるところがない。というわけで、わたしもCDを聞き進めるまで、「斑鳩の匠宮大工三代」との関係に気付かなかった。ひょっとしてカセットブックには何か触れるところがあったのかな。
2013年12月17日火曜日
旧暦11/15 西岡棟梁と農業高校
垂渓庵です。
もはやごくたまの更新が日常化しつつある。弁解のことばもない。スマヌスマヌ。
宮大工の故西岡常一棟梁のファン──いるのか?──には周知のことだろうが、棟梁は、農業高校に通っていた。同じく宮大工だったおじいさんの強い希望によるものだった。棟梁が対談本で語っているところによると、木を扱う者はまず土を知らねばならぬ、という考えがおじいさんにはあったのではないかということだ。
迂遠、と言えば迂遠なことだと言えるかもしれない。ことに、大学でも社会に出て即役に立つ勉強が求められる昨今の風潮では。世の中的にはそれを実学と呼ぶようだけれど、どうも違うんじゃないかという気がしないでもなくなくなくない。あれ。
棟梁は、農業高校に通った結果、社寺仏閣の修理・建立に必要な樹齢100年以上の木を、植生なども考えながら選ぶことができるようになった。棟梁として仕事をする際に役に立つ、非常に生きた学問をすることができたのである。
わたしは、このようなことこそ実学ではないかと思うものだ。それは、社会に出てすぐに役立つスキルというような近視眼的なものではない。そもそも、棟梁自身、いや、棟梁のお父さんも、ゆくゆくは宮大工としてやっていく棟梁にとって、農業高校に通う必要などないと思っていたのだ。
もちろん、今は、将来就く仕事があらかじめ決まっている、ということはまずない時代だ。生きた学問というものの意味合いも棟梁の頃とは変わっていよう。が、それは、将来その人の人生を振り返ってみたときに、「ああ、これはこんな風に自分の人生と関わってくる勉強だったのだ」、「ああ、あの時のあれがこんな風に役に立ってくれていたんだ」というように振り返ることができるものであって、目先の就職に有利だ、などというものではないように思う。何というか、時代はどんどん馬鹿な方向に進んでいるような気がしなくもなくなくなくない。あれ。
もはやごくたまの更新が日常化しつつある。弁解のことばもない。スマヌスマヌ。
宮大工の故西岡常一棟梁のファン──いるのか?──には周知のことだろうが、棟梁は、農業高校に通っていた。同じく宮大工だったおじいさんの強い希望によるものだった。棟梁が対談本で語っているところによると、木を扱う者はまず土を知らねばならぬ、という考えがおじいさんにはあったのではないかということだ。
迂遠、と言えば迂遠なことだと言えるかもしれない。ことに、大学でも社会に出て即役に立つ勉強が求められる昨今の風潮では。世の中的にはそれを実学と呼ぶようだけれど、どうも違うんじゃないかという気がしないでもなくなくなくない。あれ。
棟梁は、農業高校に通った結果、社寺仏閣の修理・建立に必要な樹齢100年以上の木を、植生なども考えながら選ぶことができるようになった。棟梁として仕事をする際に役に立つ、非常に生きた学問をすることができたのである。
わたしは、このようなことこそ実学ではないかと思うものだ。それは、社会に出てすぐに役立つスキルというような近視眼的なものではない。そもそも、棟梁自身、いや、棟梁のお父さんも、ゆくゆくは宮大工としてやっていく棟梁にとって、農業高校に通う必要などないと思っていたのだ。
もちろん、今は、将来就く仕事があらかじめ決まっている、ということはまずない時代だ。生きた学問というものの意味合いも棟梁の頃とは変わっていよう。が、それは、将来その人の人生を振り返ってみたときに、「ああ、これはこんな風に自分の人生と関わってくる勉強だったのだ」、「ああ、あの時のあれがこんな風に役に立ってくれていたんだ」というように振り返ることができるものであって、目先の就職に有利だ、などというものではないように思う。何というか、時代はどんどん馬鹿な方向に進んでいるような気がしなくもなくなくなくない。あれ。
2013年12月7日土曜日
旧暦11/5 片岡義男を読む
垂渓庵です。
ああ、今日が旧暦で何月何日なのかも調べないとすぐに出てこなくなってしまった。順調にブログを更新していた頃は、旧暦とともに生きていたのに(うそ)。
表題にも記したように、いま片岡義男さんの小説を読んでいる。自慢ではないが、これまで片岡さんの小説を読んだことはない。たぶん。別に毛嫌いしていたというわけでもなく、ただただ縁がなかったというに尽きる。
いま読んでるのは、「夏と少年の短篇」という短編集だ。登場人物達の関係性がべたべたしていずに心地よいところもあるのだけれど、登場人物達の会話がどうもしっくりしない。
ああ、今日が旧暦で何月何日なのかも調べないとすぐに出てこなくなってしまった。順調にブログを更新していた頃は、旧暦とともに生きていたのに(うそ)。
表題にも記したように、いま片岡義男さんの小説を読んでいる。自慢ではないが、これまで片岡さんの小説を読んだことはない。たぶん。別に毛嫌いしていたというわけでもなく、ただただ縁がなかったというに尽きる。
いま読んでるのは、「夏と少年の短篇」という短編集だ。登場人物達の関係性がべたべたしていずに心地よいところもあるのだけれど、登場人物達の会話がどうもしっくりしない。
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