2016年2月26日金曜日

旧暦1/18 18才で選挙権

垂渓庵です。今日は旧暦で18日なので、18にちなんで選挙権について考えてみようと思う。

選挙権が18才に引き下げられる。それだけしっかりした若者が増えているというわけだから、この国にとってまことに慶賀の至りだ。旗を揚げてお祝いしたいぐらいである。

しかし、その割には成人式で騒ぎを起こす新成人だの、凶悪犯罪の低年齢化だの、大丈夫か若い衆と言いたくなる出来事に事欠かない。本当に18才はしっかりしているのか。

どうもそんな気はしない。そもそも、中学や高校へ通う学生をしかりした若者にする取り組みが継続的になされてきたという話は聞いたことがない。過程でも同様だろう。18才は一人前であるという前提で子供を遇する家庭はそんなに多いように思えない。大学生の学費もたいていは親におんぶに抱っこなんじゃないか。もちろん例外は認めるが、うちの生徒の状況を見る限りはそうだ。結局18才一人前化プロジェクトの総仕上げが選挙権の18才への引き下げというわけでは全然なさそうだ。

選挙権を引き下げることをきっかけに若者の政治意識を高めるうんぬんという話を聞いたような気もするけれど、本末転倒だろう。政治意識の高まりに対応して選挙権の年齢を引き下げるのなら分かるが、高まることを期待して引き下げてどうするのだろう。

もしも百歩譲って、これから18才を一人前に扱っていくようにしたいなら、大学の先生に担任のまねごとみたいなことをさせたり、休みがちな生徒に連絡をとらせたりなんてことはやめさせなさい。いい大人はそんなことをしてもらわなくても立派に日常生活を送れるはずです。

2016年2月25日木曜日

旧暦1/18 メルトダウン

垂渓庵です。

昨日のNHKニュースWEBに次のような記事がのった。

東京電力は、福島第一原子力発電所の事故発生から2か月たって、核燃料が溶け落ちる、メルトダウンが起 きたことをようやく認め大きな批判を浴びましたが、当時の社内のマニュアルでは事故発生から3日後にはメルトダウンと判断できたことを明らかにし、事故時 の広報の在り方が改めて問われそうです。
福島第一原発の事故では1号機から3号機までの3基で原子炉の核燃料が溶け落ちるメルトダウン=炉心溶融が起きましたが、東京電力はメルトダウンとは明言せず、正式に認めたのは発生から2か月後の5月でした。
こ れについて東京電力はこれまで、「メルトダウンを判断する根拠がなかった」と説明していましたが、事故を検証している新潟県の技術委員会の申し入れを受けて調査した結果、社内のマニュアルには炉心損傷割合が5%を超えていれば炉心溶融と判定すると明記されていたことが分かりました。(以下略)
わたしたちは科学技術そのものにというよりも、それを運用する人間を警戒する必要があるようだ。新潟県知事の出した以下のコメントからもこの間の東電上層部各位の不誠実さがうかがえる。

「事故後、5年もの間、このような重要な事実を公表せず、原発の安全対策の検証を続けている県の技術委員会に対しても真摯(しんし)に対応して来なかったことは極めて遺憾。メルトダウンを隠蔽した背景などについて今後の調査で、真実を明らかにしてほしい」

もちろん、当時メルトダウンしたと発表したからといって、どこかの誰かの対応が大きく変わることはなかったかもしれない一方、東電に対する風当たりはいっそうきつくなっていたことだろう。が、メルトダウンしているのか、いつするのか、と遠く大阪に住まいするわたしでもやきもきしたことを明瞭に記憶している。この対応はあまりにもひどくないか。

他の新聞の電子版なども参照する限り、東電の広報関係の方たちは、マニュアルのこの記述を見落としていたと言っておられる。本当だとしたらあなたたちに原発の運転資格は無いと言いたいし、嘘だとしたらあまりにも人を馬鹿にした対応だと言える。やっぱり事故は起こるべくして起こった人災だと確信する次第だ。

こんな連中がいる限り、今回の震災を受けた安全対策が仮に十全のもので、原発の再開が科学的に妥当なものだったとしても、諸手を挙げて賛成できないとわたしは思う。世の中、偽装や隠蔽、虚偽の報告があふれている。自動車関連業界でもあったし、食品関連会社でもあった。免震ゴム関係でも教育関係でもだ。政治は言うまでもない。分野は問わないのである。原発関連でもどんな偽装や虚偽の報告、隠蔽がなされるか分かったものではない。今回のニュースでそれがますます確からしくなったとわたしは思っている。ものがものだ。何かあった時の影響が大きすぎる。

東電の方々だけ無垢で純粋である、と判断していい根拠はない。もしもそう判断する人がいたら、おめでたい人だと言われても仕方ないだろう。

2016年2月24日水曜日

旧暦1/17 法華経の経文。

垂渓庵です。

『仏教漢文の読み方』という本を読んでいる。必要に迫られているわけではない。趣味で、としか言いようがない。面白いかというと、面白い。わたしはためにする読書があまり好きではない。同様に、面白くないものを無理矢理読むというのもやはり好まない。時には我慢して読むこともないではないけれど、そこはそれ、何となく面白くなりそうな予感がしたり、無理くり小難しい本を読んでいる自分に酔うこともあったりで、それなりに読んでいく動機付けというものがある。

ということはここでの本筋ではない。著者の金岡照光さんが挙げている話の中に、漢文のお経をそらんじている人も、内容については和讃など経由の知識が主で、経典の漢文をきちんと読んで理解している人は案外少ないよね、ということが書かれていた。もちろん、こんな砕けた書き方をしておられるわけではない。この本はもっときちんとした本です。

そのくだりを読んでいて思い出した。たしか中学か高校の頃、うちにあった法華経を訓読した形のお経にいったい何が書かれているのか気になった。何らかの真理でも書かれているのかもしれないと思ったんじゃなかったか。で、母に質問してみたところが、あまりはかばかしい答えが返ってこない。なんといい加減なと思わなくもなかったが、答えが返ってこないのだから仕様がない。

で、何をしたかというと、岩波文庫の法華経を買って読んだのだ。サンスクリットかパーリ語からの訳と漢訳とが対照されていたのではなかったか。口語訳は厳密な意味での漢訳の翻訳ではなかったので、少し丁寧に対照させて読むとずれが目についたけれど、そんなことは気にせず読んだ。そして、法華経って妙な本だと思った。だって、このお経はすごいぞというようなことが何回も書かれていたのだから。ああ、だから妙法蓮華経なのかと得心した、というのは嘘で、なんでこんな風に書かれているんだろうとは思ったものの、それっきりとなってしまったのだった。

というようなどうでもいい記憶が金岡さんの本を読んでいて呼び起こされた。他のお経には何が書かれているのか気にならなくもないけれど、もうあの頃のように無理くり長いものを読み通す気力はないだろうなあ。

2016年2月23日火曜日

旧暦1/16 調べもの

垂渓庵です。

最近、時々ではあるけれど、図書館に調べものに行っている。何を調べているのかは内緒。というか、もやーっと気になることはあるけれど、まだ形になっていない。漠然と気になること関連の調べものをしているという感じだ。わかりにくくていすみません。

職場の時間割変更の関係で、わりと早い時間に図書館に行けることもある。それで気づいたのだけれど、自習をしている学生の数が減っている気がする。昼寝しに来てるんですかと言いたくなるようなおっちゃんたちは相変わらず多いのだけれど。この変化は何を意味するのだろうと思っていたら、公立の図書館で自習禁止を打ち出すところが増えてきているとかいう話を聞いた。

確かに自習学生があまりにも幅をきかせているのも迷惑な話だけれど、全面禁止というのもの何だかなあ、である。ま、座席数の少ない分館などでは仕様がないかもしれないが、座席数に余裕のある本館などでは、一定の自習スペースがあってもいいんじゃないかとも思う。旧府立中之島図書館などはそうしていたのではなかったかな。

いかん、調べものから話がそれてしまった。調べものについては、めどがついたらまた書くことにしよう。

2016年2月21日日曜日

旧暦1/14 ガルパン

垂渓庵です。

アマゾンでkindleファイヤーを買ったことは、この欄に書いたのだったか。無料でテレビ番組や映画を見ることができるのだけれど、あまりタイトル数は多くない。そして少し古いものが目立つ気がする。が、普段あまりテレビや映画を視聴することがないので、それでもけっこう重宝している。

その中で、こりゃあいいと思ったものがいくつかある。その筆頭格がガールズ&パンツァーだ。世の中的にはガルパンと呼ばれているものらしい。

女子のたしなみとして戦車道というものが推奨されている世界。華道や茶道などと並んで戦車道が高校の選択科目みたいななのの中に存在している。そしてその高校が、それを含む街ごと巨大な空母みたいな艦船の上に作られているという、聞いただけではかなりトンデモな設定のアニメだ。

男子っ気ゼロでひたすら戦車道に邁進する女子高生たちが活躍するアニメなのであるが、これが案外面白い。いやめっぽう面白いのである。あまり詳しく書かないが、スポ根ドラマの要素あり、群像劇の要素あり、主人公らの成長物語の要素あり、で要所要所では泣きの演出も入る。おまけに、戦車のきちんと動いている。というか、描きこみがえらいこと細かい。見る者を引きつける要素が多いのである。

とわたしが書かずとも、知っている人は多いことだろう。世の中にファンが多いのか、作品の質がそうさせるのか、去年の11月に劇場版が公開されて、今でもまだ上映されている様子だ。わたしも時間を見つけて行こうと思っている。

2016年2月19日金曜日

旧暦1/12 浪曲

垂渓庵です。

すごく久しぶりの更新だ。この前が旧暦8月なので、5ヶ月ぶりということになる。その間、とくに何があったというわけではないが、なんとなく気ぜわしい毎日だった。年末から年の初めにかけて多少体調を崩したけれど、それ意外は息災に過ごしていた。

生活に大きな変化もないけれど、このひと月ばかり、浪曲を聴くようになった。もとは同僚に浪曲の会のチケットをもらったのがきっかけだ。浪曲というと、テレビ経由で玉川良一か広沢瓢右衛門ぐらいしか知らなかった。その二人もどっちかというと、タレント的な姿を知っていたぐらいで、浪曲師としての姿は知らない。

そんなわたしだけれど、去年の暮れ、四郎若さんの熱演にホウとなり、小圓嬢さんに泣き、幸枝若さんのテンポの良さに心地よくなった。これは、もうちょっと聴くしかないでしょう、ということで、初代の幸枝若や梅鶯、東家浦太郎、寿々木米若、松平国十郎、日吉川秋斎、吉田奈良丸、広沢虎造、国本武春などなどのCDを図書館で借りてきては聴いている。

なぜ図書館か。そもそも浪曲のCDはあまりCDショップで売られていない。人気がないのか。そうかもしれない。わたしも実際に聴く機会がなかったら、浪曲を聴こうなどと思わなかっただろう。ともかく、CDショップにない以上、Amazonなどの通販ということになるが、さすがにどんなものとも分からずにいろいろ買うのはためらわれる。というわけで、視聴覚資料も案外そろっている図書館の出番ということになる。CD聴くのに図書館へというのも変な感じだけれど、手っ取り早く色々聴こうと思うと、結局図書館がいちばん便利だということになる。

というわけで、最近は職場の最寄り駅から職場までの間の往復で浪曲を聴いている。お気に入りは初代幸枝若の武蔵屋新造だ。と言ってもだれも知らないだろうな。