2021年11月26日金曜日

旧暦10/22 この世に神はいるのか

垂渓庵です。

もう昔も昔、大昔の話である。高校を卒業してしばらく経った頃、今はなくなってしまった旭屋書店梅田本店ビルで本を物色していた時のことだ。高校の地学部の先輩のK田さんとばったり出くわした。3階の岩波文庫の棚の前あたりだったと思う。K田さんはおれと違って温厚を絵に描いたような人で、在学時から常に穏やかににこやかに人に接する方だった。おれたちは「久しぶり」「お久しぶりです。大学生活はどうですか」「必要な単位をとるのに忙しくて」と型どおりの会話を続けていたように思う。それが何の話からだったのか、全く覚えがないのだけれど、神は存在するかというような方向に話題が移っていった。おれはあの時フォイエルバッハの『キリスト教の本質』の上巻を買ったと思う。そんなところから話題が神がかっていったのかも知れない。

あの時も、いや、その後も、おれはずっといい加減な人間だ。いきなり「神は…」と言われても困るのだが、「神はいないと思う」というようなことを答えたのではなかったか。もしも神がいるなら、なぜべらぼうな数の戦死者を出す戦争が起こり、悲惨な境遇の人が生まれ続けるのか分からないというようなことを付け加えたと思う。

それに対するK田さんの返事はどうだったか。残念ながら忘れてしまった。その後しばらく立ち話を続けて別れた。それ以後K田さんにお目にかかることはないままだ。なぜだかそんなことを思い出した。

2021年11月19日金曜日

旧暦10/15 アライダヌキ

垂渓庵です。

ここ最近よんどころない事情により早くに出勤しているのだが、先日の明け方のことである。まだ日の出まで間のある薄暗い中、自転車で出かけようとすると、近所の造成地のフェンスの穴から結構大きな動物が出てきた。形からするとアライグマか狸らしく思える。うおっと思って観察することしばし。薄暗い中とて結局どっちかはっきりとは分からなかったが、 どうも尻尾にシマシマがなさそうだ。それに、『あらいぐまラスカル』の最終回、成獣になったラスカルの大きさを思い出してみても、ちょっと大きすぎる気もした。というわけで今はたぶん狸だったんじゃないかと思っている。

いずれにしても狸だかアライグマ──アライダヌキとでも呼んでおこうか──だかの成獣がうちのごく近所にいたわけだ。うちの近くはものすごく都会というわけでもないが、手つかずの自然が豊富というのとも違う。都市近郊の普通の住宅地だ。あれだけ大きくなっていると人目につくだろうし、そもそも何を食って生きてきたのかも気になる。とても野良の動物にとって生きやすい環境とは思えない場所で、あいつはそれなりにがんばって生きてきたのだろうと思うと思わず目頭があつくなった、というのは嘘だけれど、造成地から出かけてまた戻っていった後ろ姿に「がんばりなはれ」と心の中で声をかけたのは本当だ。願わくは人さまに迷惑をかけずに長生きしてほしい。

2021年11月18日木曜日

旧暦10/14 ナルト走り? 忍者走り? キ~ン?

垂渓庵です。

以前『プリンセス・プリンシパル』を見ていた時のこと。作中の忍者っぽい子が特徴的な走り方をしていることに気づいた。体を前傾させ、両腕をそれぞれ斜め後方に開いて固定させる走り方である。飛行機の可変後退翼的な形というか、そんな走り方だ。それを見ていてふと「どこかで見たことがあるなあ、この走り方」と思った。その時はそれで終わった。

その後、『ソードアート・オンライン』を視聴した時、キリトだったかアスナだったかが『プリンセス・プリンシパル』の可変後退翼のような走り方をしていることに気づいた。これで『プリンセス・プリンシパル』、『ソードアート・オンライン』、それに作品名を思い出せないままの一作品の都合三作で同じような走り方が出てくると分かった。

点が線に伸びたわけだが、だからどうしたというわけでもなくそのまま長らくうっちゃらかしておいたのであるが、先日『takt op.destiny』(だったと思う)にも同様の走り方が出てきた。線がさらに伸びた。で、さすがに気になったので改めてネットで調べてみると、淵源は『ナルト』や『聖闘士星矢』にあるらしいことが分かった。

アラレちゃんの「キ~ン」という走り方だという声もあるようだが、正確にはアラレちゃんがもっと前傾姿勢を取って両手を斜め後方に移動させた形にならないと「(仮称)可変後退翼走法」にならない。アラレちゃん、そんなに前傾姿勢を取ったら顔を地面にこすりつけながら走ることになってしまう。おそらくアラレちゃんの走り方は別物だろう。

忍者走りとも呼ばれるようだが、『サスケ』や『カムイ外伝』に出てくる古典的な忍者はあんな走り方をしちゃいない。「忍者走り」は正確には「類忍者走法」といったところだろう。興味深いのは、「忍者走り」という呼称も「ナルト走り」という呼称もどちらも『ナルト』に行き着くことである。呼称から判断する限りはあの走法は『ナルト』由来と言えそうだ。が、まだ『聖闘士星矢』がある。それがどう関わってくるのかは今後の研究課題としておこう。

2021年11月16日火曜日

旧暦10/12 坂井三郎さんになるために

 垂渓庵です。

昨日、17時前の南東の空に月が浮かんでいた。日没後すぐぐらいで、空もまだ薄い青空という感じだった。天文薄明と言うには少し早い時間だったと思う。そこで思い出したのが撃墜王坂井三郎さんが鍛錬の結果、昼間に星が見えるようになったという逸話だ。

まだ星が見えるには少し早い時間だったが、月の先の方には木星がある。明るさは金星には及ばないがマイナス2等級ぐらいだ。頑張ったら見えるのではないかと思い頑張ってみた。幸い月との位置関係からあたりをつけることができる。で、木星を探すことしばし。ありました。一つだけ光っている星が。あんなに明るい空に星が見えるなんて、ちょっと感動した。星が見えるよと教えてやった娘も少し驚いていた。

あんな風に当たりをつけながら星を見つける練習をしていけば、坂井三郎さんのように昼間に星が見えるようになるかもしれない。そう思わせる体験だった。

2021年11月12日金曜日

旧暦10/8 急に寒くなった

垂渓庵です。

今も時差出勤を続けている関係で朝は無茶苦茶早く出る。二時には家を出ているだろうか。その関係で夜はめっぽう早くに寝る。六時頃には寝に就いている。というのは今考えついた嘘だけれど、早くに出ているのは本当だ。五時頃には出ているだろうか。今の時期は五時でもまだ暗い。

暗いだけならまだいいが、ここのところ滅法界寒い。下着を長袖に替え、上着を厚手のものに替えても寒い。そうかと言って、下着を厚手のものやヒートテックにしたり、カイロを下着とワイシャツの間あたりに忍ばせたり、あまりにも寒冷地仕様の出で立ちにすると、太陽がぽかぽかと暖かい昼間に地獄を見ることになる。しようがないので上着で調整ということになるが、これが案外難しい。

コートみたいなのは自転車に乗りにくいので勢いジャンパー的なものを着ることになる。なるが、山登りに使うようなものはさすがに暑いし、薄手のジャンパーでは寒い。ちょうどいい感じになるのを探すのが大変だ。家を出る時のチョイスを間違えてしまうと自転車で震えることになる。

コロナが減っているとはいえ、下手に風邪をひいて発熱してしまうと、熱が下がってからもしばらくは出勤できない。別にしたいわけではないが、出勤できないとテスト範囲がなくなってしまう。というわけで、出勤時の服装はけっこう重要な問題なのである。

2021年11月11日木曜日

旧暦10/7 書類仕事

垂渓庵です。

この時期、税金関係の書類を事務室に提出しないといけない。何となくこれまでと同じと思っていたら、なんと今回はこれまでとは別の書類をとってくる必要があるということだ。書類関係は基本ぎりぎりまでほったらかしていることが多いので、いきなりこういうことが起こることになる。

ううむ、困った。 もともと取ってこないといけない書類は用意してあるが、別の書類は用意してない。暇を見つけて取ってこなきゃいけないな。やむを得ないのでどこかで時間を見つけて行ってこよう。

今回に限らず書類関係では自分が困るだけでなく事務方の人を困らせることも多々ある。考えを改めるようにしないといけないなと強く思う。まずはできるだけ早く書類をとってこよう。と言っても最速明日になりそうだけれど。

2021年11月10日水曜日

旧暦10/6 追悼・太田淑子さん

 垂渓庵です。

 人間五十を超えると身の回りに不幸ごとが増えてくる。祖父母はもちろんのこと、おじ・おばにしても鬼籍に入る人が増えた。なじみの作家さんや俳優さん、声優さんも同様だ。本欄でも何人もの作家さんや声優さんたちを偲んできた。今また一人、太田淑子さんが逝ってしまわれた。

もちろん太田さんの大ファンだったわけではない。今までずっと気になり続けていたという訳でもない。宝塚歌劇のご出身だとはお亡くなりになった後の記事で知ったくらいだ。が、小さい頃の記憶には「ジャングル大帝」や「リボンの騎士」や「ひみつのアッコちゃん」のスペースがあって、そこでは子供の頃に見たままで(多分)変わらないレオやサファイアやアッコちゃんの声が響いている。いや、ジュラルミンだのチンクだの大将だのの声も変わらず聞こえてくる。その声の人が亡くなったというのは、悲しいというよりも、どうも不思議な気分だ。

幸い今アマゾンプライムではリボンの騎士が配信されている。全部通してとなると時間的にきついかもしれないが、何話か目を通してみるか。ナイロン卿だの脳内の声を色々補正しておこう。

 太田さん、ご冥福をお祈りします。


2021年11月8日月曜日

旧暦10/5 インフルエンザ

 垂渓庵です。

今日、職場でインフルエンザの予防接種がある。なんか流行る流行ると言われているが、本当なのか。コロナ対策で換気やマスクの着用、手洗いが励行されている中で流行る理由がよく分からない。去年流行ってないので抗体がないのだと言われたりするようだが、ちょっと待ってくれと思う。毎年流行るタイプが異なるので予防接種は毎年受けないといけないのではなかったか。それ、前年の流行の有無に関係なくないか。

去年はコロナ対策のおかげでインフルエンザが流行らなかったのだとしたら、今年も同じことになるような気がするのだけれど。なのに今年はインフルエンザが流行するとはこれいかに。これはあれか、インフルエンザの予防接種を作る会社の陰謀か。バレンタインデーやハロウィンがお菓子屋さんの陰謀であるごとく。ほんまかいな。

旧暦10/4 前田五郎さん追悼

 垂渓庵です。

 前田五郎さんが亡くなったと三日ほど前に知った。言わずと知れたコメディNo.1のツッコミ役だ。追悼と銘打ちながらこういうことを言うのもどうかと思うが、実は五郎師匠の突っ込みがあまり得意ではない。特に子供の頃に見ていたコメディNo.1の漫才と比べると、コンビ解消前のものの方が五郎師匠の突っ込みがきつくなっていたように思う。と言ってもお二人がコンビを解散されて十年以上経つはずだ。またおれの子供の頃なんてそれより何十年遡るのか。あまりにも霞のような屁のようなおぼつかない記憶だからあてにはならないけれど。

 実は五郎師匠や坂田師匠の世代でいうと、Wヤングの方が好きだったりしたのだけれど。ま、それはしばらく措くとして、「アホの坂田」は嫌いではなかった。坂田利夫さんその人ではなく、「アホ、アホ、アホ のさ~かた」と「アホ」を連呼する曲の方ね。合唱調のところなどは今でもひょんなことで脳内で再生される。あれ、歌っているのは五郎師匠ではなかったか。何にしても冥福を祈ろう。合掌。

2021年11月5日金曜日

旧暦10/1 リハビリ句作

 垂渓庵です。

 久しぶりに句作してみた。本当に久しぶりなので作り方を忘れてしまった。2時間あまりの間にできたのが35句ほど。早吟というやつである。箸にも棒にもかからないものばかりだけれど、とりあえずこんな感じ。

お出合いあれくせものGが殿中に
駅員に息巻く女訛りある
飴色のひがんでいるはさくら色
ルーチンでないことをしてみようかな
ありがとう付箋に書こう丁寧に
非常ベル押したいそんな午後でした
泣きべそをかいたマリモを撫でてやる

だからどうしたという句ばっかりだ。いかぬいかぬ。今後もリハビリが必要だなあ。というか、落ち着いて句を作る時間を作れるかどうか。まだ無理なような気もするなあ。


2021年11月1日月曜日

旧暦9/27 栗?

 垂渓庵です。

気づけば木の葉の色が変わってきている。教科室と教室の間にある木もずいぶん葉を落とした。かっこよく季節の感懐などを書こうというわけではない。単に、教科室と教室の間の葉っぱがなくなると、随分見通しがよくなってしまって教科室が教室から丸見えになってしまうのが困るというだけのことだ。もちろん見られて困ることをやっているわけではない。ないが、そこはほれ、居眠りをしていたり、飯を食っていたり、はなをほじっていたり、いろいろするじゃないか。はなをほじるのは見られたら困るのか。

ところで、娘が栗拾いに行きたいという。遠足で落ちている栗の実を見かけたらしい。そんなに遠くではなかったので娘が言う場所に行ってみた。幸いというか何というか、今年の遠足先はけっこう近くだったのだ。で、行ってみてびっくり。栗の実などない。見事にない。ついでに栗の木もない。「なんですとぉ」と声を上げたりはしなかったが、狐につままれたような話である。しかし、娘はあったと言う。嘘を言っている訳ではなさそうだし、あたりをしばらく探してみてわかったこと。

・栗ではないが似ていないこともない木の実ならあった。

・以前植物園で見たなんとかフウという木の実に似ていた。

・それを踏まえてあたりの木を見渡してみると、なんとかフウに似た木が生えていた。

・その木は栗に似ていないこともない木の実をたくさんつけていた。

以上から推して娘はその木の実を栗の実と勘違いしたらしい。そもそも栗の旬は9月下旬らしい。なんというか無駄足に終わったようにも思うが、娘とあちこち出歩くのは楽しいので、まあよしとしておくか。 しかし、栗の実ぐらいは見分けがつくようにしてやらないといけないかな。今年は無理っぽいけど来年は実物を見に連れて行ってやろう。その頃娘がおれの相手をしてくれるなら、だけど。