垂渓庵です。久方ぶりの更新だけれど、もういちいち触れるのも面倒になってきた。ちょっと忙しかったのです。
この何日かで筒井康隆さんの『家族八景』と『七瀬ふたたび』を読んだ。再読ではない。初読だ。おまえはそれでSFファンをよく名乗っているなと言われそうだが、わたしの未読SFをリストにしたら、おまえなんかSFファンじゃないと言われるところだろう。が、何と言われようが、わたしはSFファンだ。どうしても納得できないという方が多ければ、心のSFファンと言ってもいい。
さて、『家族八景』と『七瀬ふたたび』を読んで思ったことを少し書いてみよう。ほんとうは、『エディプスの恋人』も含めて三部作なのだけれど、まだ読んでない。読むとしてももう少し先になりそうだ。というわけで、印象がはっきりしているうちに書いておく次第。記憶力が劣化しているしね。
実は『家族八景』を読んでいる間じゅう、違和感を感じていた。七瀬が七瀬らしくない気がしたのだ。七瀬ものを読んだことのないわたしが「七瀬らしくない」と思うのも変なのだけれど。どうも、『家族八景』の七瀬は、ダーティーな雰囲気をまとっているような気がする。これでもかという感じで醜怪な家族関係が描かれる中、それを分析し、時に操作する七瀬は、なんとなくわたしが抱いていた七瀬像と違っている。わたしの中の七瀬は、もっと颯爽としている。ここをつっつきゃこの家族はこうなるだろう、なんて実験めいたことはやらない気がするのだ。
そもそも、わたしが颯爽としたヒロインとして七瀬をイメージするようになったのはなぜか。当時SFの周辺で生きていたわたしの印象では、コアなSFファンにとどまらず、七瀬ファンがけっこういたような気がする。SF関係の雑誌などを通して伝えられる七瀬像、それがわたしの抱く「七瀬らしさ」のベースのひとつだと思う。で、その七瀬像は、『家族八景』の七瀬像とはどうもずれる気がする。なぜなんだろう。
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