垂渓庵です。
筒井康隆さんの七瀬シリーズについてその2だ。もっとも、第三作の『エディプスの恋人』は読まないままなんだけれど。
ざっくりと前回を振り返ると、『家族八景』の七瀬に違和感を感じるのはなぜなのだろう、という話だった。
その原因の一つとしては、当時のSF周辺のメディアでの七瀬評自体が、そもそも『家族八景』の七瀬像とは少しずれてたんじゃないか、ってことを指摘した。今回はその続き。
SF周辺での七瀬像といっても、具体的にどこでどう論じられていたかというようなことは忘却の彼方だ。あくまでもそういう感じがしているというにすぎない。実際は違ってたってこともありうる。
もしもそうであるとすれば、わたしの七瀬像がゆがんでしまった原因の一つには、『時をかける少女』と『ねらわれた学園』の存在があるんじゃないかと思う。どちらも言わずと知れたジュブナイルSFの名作だ。そしてどっちも原田知世主演で映像化されている。
わたしの七瀬像は、この二作、それにプラスして原田知世さんに引きずられるところが大きいようにも思えるのだ。
原田知世主演のこの二作については、今はなき「月刊アウト」に『時をかける学園』というパロディ作品が掲載されていた。原田知世さんの平面顔がみごとに漫画化された、ゆうきまさみさんの代表作だ。ほんとか。
ここらへんがわたしの七瀬像の源流にはあるような気がするのだ。原田知世さんと七瀬、実際に七瀬シリーズを読んでみると、あまりに違いすぎる。そりゃあ、違和感を抱くだろう、という感じだ。
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