2014年11月18日火曜日

旧暦閏9/26 古文を訳させるには 3

垂渓庵です。

前回は、教材を作るために、マイナーどころの作品を探すのにけっこう苦労した話だった。実家の専門書や資料類を突っ込んである棚をものすごく久しぶりにひっくりがえしたし。

で、いよいよ読ませる作品が決まって、大切なことに気がついた。


生徒に下ろす教材は、きちんとした歴史的仮名遣いや送り仮名で書かれていて、意味がきちんと通る必要がある。また、適宜ふりがなをふったり、中学生や高校生レベルで分からなくて当然のことばや事項には注をつけないといけない。本文もできるだけ深く読まないといけない。……。

当たり前っちゃあ、当たり前の話だ。が、それがきつかった。

何しろ、マイナーどころの作品の活字版は、依拠した底本の本文をそのまま示す形で紹介していることが多い。当然、仮名遣いの違背、誤字、脱字などが目白押しだ。ついでに、注や現代語訳などもない。かぎカッコもなかったりする。ないない尽くしで、見事なまでに何もない。

わたしが生徒に読ませようと思った作品も同じ。ということは、全部自分でやんなきゃいけない。使用部分を決定して、次に本文を整定することになる。やってみると分かるけれど、これがとても面倒だ。

・内容を確認して教材として使うかどうか決める
・意味が通じにくいところがあれば、どう読むべきか考える
・それでも意味が通じないとなれば、本文をいじる
・単純な誤記、誤字、脱字を訂する
・読みやすさを考えて、漢字を仮名に開く
・逆にひらがな表記の部分を漢字に直す
・仮名遣い、送りがなの確認をする
・カギかっこなどの記号をつける
・生徒レベルに通じるようにふりがなをふったり、注をつけたり

以上の作業が時に同時並行的に、時に順を追って進むことになる。やってみて分かったけれど、要は注釈書を作るのと同じような作業が必要になった。そりゃそうだ。生徒におろすのだから。

どうしてわたしはそんなことに気付かなかったのだろう。この項続く。

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