2014年11月19日水曜日

旧暦閏9/27 古文を訳させるには 4

垂渓庵です。

前回は、わたしがまぬけだったかもしれないというところまで書いたと思う。今回はやっぱりわたしはまぬけだという話だ。



前回書いた作業も、文献学的検証に耐えうるほど厳密にやったわけではない。出版する訳じゃないんだし。

特に、意味が通じない部分については、本文系統などおかまいなしに、他の写本を参考にして訂正した部分もある。研究者ならそんなことはやらない。一種の混態本文を作ってしまうことになるのだから。

そのほかにも、とりあえず授業の用を足せればいいのだし、と自分にいいわけしつつ、極めて恣意的に処理していったところもある。途中で脱線している部分をばっさりとカットしたり、一部ことばの順序を入れ換えてみたり。要は読みやすさを優先したということだ。

何のことはない。新たな異本を発生させたようなものだ。源氏物語の河内本ってこんな仕組みで作られたのかと思ってみたりもする。そんなことを言うと、光行、親行親子に怒られるか。

それにしても、源氏物語全体にわたって読みやすさに配慮して手を加える、それはそれですごいエネルギーを必要としたんだろうとは、ぼんやりと理解できた。光行・親行えらい。

閑話休題。とにかく、極めてプラグマティックな姿勢で本文に臨んだわけだけれど、それはそれで大変だった。どうやったら読みやすくなるか考えないといけないのだ。しかも、あまりやりすぎると、現代の文章作法とは異なる原理で書かれているっぽい古文の抵抗感が失われてしまう。さじ加減が難しいというか、なんというか。おれはなんでこんなことをやっているんだろうと何度も思った。 この項続く。

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