2014年11月17日月曜日

旧暦閏9/25 古文を訳させるには 2

垂渓庵です。

古文を訳させるには、訳や注などがネット上に存在しないような教材を読ませればいいんだ、そう気づいたところまで書いた。単純と言えば単純な話だ。

で、その単純なアイデアを実行しようとして、えらい目にあった。


ネット上に訳や注がない作品、それはすなわち、ほぼマイナーな作品ということになる。マイナーどころの作品でも、研究者や好事家が訳や注をネット上で公開しているものもある。漢文や漢詩には、案外そういうものが多い。が、古文に関しては、概してメジャーな作品への言及が多いと言える。

もちろん、メジャーな作品でも、教材になるのは特定の箇所に集中する場合が多い。「かいもちひ」する話なんて、ああ、あったあったという人も多いんじゃないか。

そこを外して教材を作ってもいいが、ネット上には往々にしてメジャーな作品の全文訳があることがあるので、避けざるを得ない。ネット上には、あの長い源氏物語でさえ全文訳が二、三種類あるんですぜ。

というわけで、メジャーどころを外した作品探しが始まった。

以前、ちょっと珍しい系の説話集などを読んでいると書いたけれど、上に書いたような事情があったわけだ。

これがとても面倒くさい。まず、あまりにマイナーなものは本文自体入手しにくい。というわけで、探索の過程では、学生時代に買った本やら紙焼きした資料類まで持ち出すことになってしまった。実家に置きっ放しにしていた専門書や資料類をだいぶひっくり返した。

結局、紙焼きした資料は採用しなかったのだけれど、読むのが面倒だった。だって崩し字だし。それこそ十年以上ぶりに読むので、つっかえること夥しい。採用しなかったのは、内容がどうこうではなく、半ば以上その煩雑さのためだった。

そんなこんなで作品選びの時点で多大の時間をとってしまった。おかげで、教材準備にあてるつもりだった時間のかなりの部分を食いつぶすことになった。が、とりあえず作品は決まった。企業秘密だから教えてあげないけれど、ネット上にごく僅かに訳があるだけの作品だ。

作品が決まったのはいいのだが、それ以後、急速に自転車操業状態に陥っていくことになった。その原因は…。この稿続く。

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