2015年1月6日火曜日

旧暦11/16 古文を訳させるには5

垂渓庵です。

前回はわたしはまぬけだという話だった。今回は、わたしはこれからもまぬけだろうという話だ。

生徒に訳させるために、ネットでマイナーどころの作品を選んでしまったために、本文を整えるためにえらいこと苦労したところまで書いた。

それだけでは終わらないのである。生徒に話をする以上、自分が内容についてきちんと理解できていないといけない。本文の解釈ももちろんだけれど、出て来る人名や事項などについてもきちんと押さえる。必要がある。これがまた面倒だった。


何が悲しくてこんなジャンルの本まで見ないといけないのか、と後悔することがしょっちゅうあった。

と書こうとして「こうかい」と入力変換すると、いきなり「降灰」が出てきた。なんでだ。むかし、ATOKのバージョンがアップすると、バージョンアップしないままのATOKの変換内容がおかしくなると書いている人がいたと記憶しているが、なんか関係があるのだろうか。

閑話休題。とにかく、出て来る人名について確認するためにお坊さん関係の本をひっくり返したり、建築用語らしきものを理解するために建築史の本をながめてみたり、社寺について改めて勉強したり。あ、絵巻も見たな。それだけではなく、専門的な論文を参考資料としてコピーしたりなどなど。とにかく、面倒だった。

そうそう、一部道行きみたいなところもあったから、そこの文飾を考えるのに連珠合壁集なども開いてみたり。おれは学生かというような勉強を自転車操業の間続けた。

そんなこんなで準備をしては授業してを続けて、ひと学期分、とりあえずの本文と教授資料はできあがった。まだ手直しをしないといけないところもあるけれど。

その間、生徒も訳に苦しんだようだけれど、おれも苦しんだのだからあいこだ。という話ではなく、それなりに古語辞典を面倒がらずに使い、授業前に訳をするのは当たり前、という意識はつけることができたように思う。

でも懲りた。懲りたのだけれど、次は和歌を生徒に読ませるための作品集を作ろうと目論んでいる。和歌はある程度読める方がいいし。引用元を伏せた上で生徒に分担させて発表させるといいと思うのだ。またぞろ生徒を苦しめようという腹である。

が、これもとりかかると、ちょっと面倒で、生徒をいじめることができるようにこちらもその作品についてしっかり下調べをする必要がある。何が悲しくて新編国歌大観をひっくりがえしておるのか、という毎日を過ごしつつあるのである。おれは何をしているのか。むう。その話はまたいずれ書くことにしよう。

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