2012年10月5日金曜日

旧暦8/20 JUST A GIGOLO

垂渓庵です。

いまの講道館柔道を作ったのは嘉納治五郎だ。もちろんジゴロとは関係ない。

以前何回かとりあげた『戊辰物語』に嘉納治五郎の聞き語りも載せられている。以下はその抜粋だ。

○維新のごたごたで世の中がすっかり変って、もうそんなものを考える者もなかったよ。維新前までは、やわらとか体術とかと相当武家の間に行われていたがね。その頃やっていたのは山岡鉄舟ぐらいのもので、そういってもやはり腕っぷしの強い奴がはばがきいたね。わしも頭だけは誰にも負けなかったが何しろ体が貧弱だからどうにも馬鹿にされてね。そこで考えたのが、体が貧弱でも勝てる方法はないかという事さ。(163頁)

柔よく剛を制する近代柔道は、治五郎が体格に恵まれていたら、生まれていなかったかもしれないということだ。すでに定年退職した元同僚が、駅で若い兄ちゃんか何かにからまれたのをきっかけに、ボクシングを始めたことを思い出させる。それにしても、「頭だけは誰にも負けなかった」というのはすごい自信だ。実際に優れた資質を持っていたようで、それだからこそ教育家としても名を成したのだろう。

○先生を探すには随分骨を折ったよ。何でも接骨医は、みんな柔術が出来るという事を聞いたので、毎日足をすりこぎにして接骨医の看板をさがし廻った。「今時なんだって柔術なんど稽古をするのだ」と何所でも真面目に相手にしてくれる者のなかったには閉口した。(163頁)

今でも柔道整復師というのが国家資格であるけれど、その淵源は遠く江戸時代の柔術や体術にあるということが分かる。それにしても、維新後そこまで柔術は下火になっていたのか。おそらく、文明開化の世の中になり、元武家たちには柔術をやる余裕などなくなってしまったのだろう。治五郎は比較的裕福な家柄だったようだから、柔術を学ぶ余裕もあったということなのだろう。身一つで上京した風大左衛門とはずいぶん違う。

治五郎の聞き書きはもう少し続く。それは次回紹介しよう。

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