2012年10月1日月曜日

旧暦8/16 法の句

垂渓庵です。

先週の少林寺拳法の話の続きだ。と言っても、武張った話ではない。ちょっと文学的というか、宗教的というか、そんな感じの内容だ。

仏教の経典の一つ、『法句経』に次の文言がある。引用は岩波文庫による。番号は岩波文庫に付された通し番号。どちらも「第十二 己身の部」に出てくる。

己を以て主とす。他に何ぞ主あらんや、己を善く調(おさ)めぬれば能く得難き主を得。(160)

自ら罪を造りて汚れ、自ら罪を造らずして自ら浄めり、浄不浄は己に属す、他に由りて浄めらるることなし。(165)
 『法句経』は、古代仏教の経典類から名句を集めた教訓句集のようなものだ。そこに集められているのは釈迦その人のことばだと考えられる。などと聞いた風なことを書いているが、もちろん岩波文庫の受け売りである。

おとつい書いた、道院で唱えていたことばをもう一度書いてみよう。

  己こそ己のよるべ。己をおきて誰によるべぞ。
  よく整えし己こそまこと得難きよるべなり。

  自ら悪をなさば自らが穢れ、
  自ら悪をなさざれば自らが清し。
  清きも清からざるも自らのことなり。
  他の者によりて清むることを得ず。

これらのことばが『法句経』のことばを下敷きにしていることは明らかだろう。もちろん、『法句経』はさまざまな経典からことばを抜き出してきているので、その元になったものが直接の引用元だという可能性はある。が、いずれにしても、先代の宗道臣師家が少林寺拳法の理念の根幹に仏教思想を据えたことだけは確かだ。

こんなあたりに中学の頃に法華経を読もうと思い立った淵源があったのだろうか、と思ってみたりするのである。

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