垂渓庵です。
先日、水俣病の認定を巡って、熊本県の不認定判断を否とする最高裁の判決が出た。わたしは石牟礼道子さんや原田正純さん、ユージン・スミスさんの著作を通して水俣病に関心を寄せてきたけれど、それに限らず、少しでも水俣病に関心を持ってきた人たちは、きっとあの判決を喜んだのではないか。いや、あるいは遅きに失したと感じているのか。
もともと水俣病は激甚な身体症状によって注目された経緯がある。深刻な高濃度の有機水銀汚染によって明らかに脳に萎縮が認められ、痙攣や麻痺などいくつもの身体症状を発症する患者さんが相次いだのだ。結果的に、それらの患者さんの症状によって水俣病の病像が描かれた。認定をクリアするには、いくつかの症状を発症している必要が生じたのだ。
しかし、水俣病に当初から真摯に関わってきた原田さんが述べているように、典型的な症状を有する人の周りには、そこまでには至らないが、やはり有機水銀の影響を受けている数多くの人々がいる。当初の水俣病の病像は、それはそれで意味のないものではなかったが、それらの人々を認定から遠ざけたという意味で、患者さんの救済ということを考えた時、十分なものではなかったのである。
原田さん達がそのような声を上げたにもかかわらず、実は行政の対応は敏速ではなかった。万人規模になるそれらの方々を認定するのを避けたのだろう。たぶんお金の問題だ。認定の門戸はなかなか広がらず、水俣病の発見から実に五十年以上経って、特措法による「包括的解決」という、水俣病とは何だったのかという総括があいまいなままでの政治的決着が図られた。水俣病の認定に関してははっきりしないままでの決着である。
必ずしもそのような形での決着を望んだ患者さんばかりではなかったと思う。が、発見から特措法まで、過ぎ去った時間はあまりにも長かった。五十年。人を馬鹿にしているんじゃないかと思う。前にもどこかに書いたと思うけれど、この国では人の命は地球よりも重いのではなかったのか。ほんとはそう思っていないなら、そんな看板なんか下ろしてしまえ、と個人的には思う。高齢化する患者さん達の生活を考えた時、政治的解決を受け容れる以外、患者さん達には他の選択肢がなかったというのが正直なところじゃないか。
そんな中での最高裁の判決だ。わたしはこの判決を喜ばしいものだと思う。たとえ時間がかかりすぎたという問題があるとしても、ないよりはましだ。司法が良識を示したものだと考えたい。あまりにもひどすぎますよ、と。もちろん、これによって未認定の方々がすぐに認定されるわけではない。しかし、裁判所は行政のそのような態度にはっきりNOをつきつけたのだ。これを受けて行政がどう動くか、注目し続けようと思う。必要があれば繰り返しこのブログでも取り上げていきたい。それがせめてもわたしにできることだ。
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