垂渓庵です。
たまたま佐々木味津三の「右門捕物帖」が青空文庫に入っていたので、続けて読んでいる。それほど好んでいるのかと言われると、実はちょっと自信がなかったりする。惰性による所が大きいのではないかという気がしなくもなくなくなくない。あれ。
が、さすがに四十編近く読み進めてくると、それなりに愛着も湧いてくる。右門はもちろんだが、右門の手下の伝六などもまあお気に入りにと言っていいかもしれない。
ところで、 そうやって続けて読んできたことで気付いたことがある。
それは、右門の無口ぶりが巻を追うにつれて減じてきて、逆に伝六の饒舌っぷりが話が進むにつれてひどくなっていることだ。
最初に「無口」「おしゃべり」という設定をしたのだろうけれど、右門が推理し、それを人に告げる以上、話の展開上、「無口」が貫き通しにくくなるのは容易に想像がつく。伝六にしても、事件を聞き込んで右門に告げる役である以上、その告げ方がどんどんオーバーアクションになっても不思議ではない。
というわけで、最初から人物設定などをきちんと練り込んで作られたシリーズというのではなく、だいたいこんな感じというところからスタートして、展開に応じて登場人物の人物像が変化していく、という感じで作られたシリーズなのではないかと思うわけである。
佐々木味津三がそういうスタイルが得意ということだったのだろうか。右門のシリーズに長編が存在しないようなのも、そういうあたりから説明がつくのではないかと思ってみたりもするのである。
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