月日の経つのは早い。というか、いったんブログの更新を滞らせてしまうと、どんどん更新間隔が開いてしまう。ずいずいのんのんと毎日が過ぎていく。
そんなこんなでもう春休みに入った。いやはや、である。
さて、最近、故あって古い説話集などを見ていた。一般的なものだけではなくて、あまり一般的でないようなものも見ていた。といっても、岩波新古典文学大系で手軽に見ることができるものだけれど。
変わったところでは、「三国伝記」なども見ていた。これは、手軽に見るわけには行かない。国文学や民俗学関係などの、どちらかというとマイナーどころの本を主に出版している三弥井書店という出版社が出している、中世の文学というこれまたどちらかというとマイナーどころのシリーズに、収められているのだ。
しかも、表記がとても一般向けではない。たとえば、こんな感じだ。
和云、日本国和州大乗相応功徳円満長谷豊山寺ト者、神明吾朝ニ天下リ、国ノ主ト成玉シ昔、~実は「中世の文学」では、カタカナは右上隅に小さく表記されている。たぶん原文の字配りを反映しているのだろう。ますます読みにくいわけだ。
が、実はそういう書き方の本はけっこうあった。というか、今昔物語をはじめとして、説話集ではごく普通の書き方だし、中世の辞書類などでもよく見られる形式だ。
下っては、教育勅語も漢字カタカナ交じりだ。五箇条の御誓文もそうだったと記憶している。広く法令一般もそうだったのではなかったか。
そう考えてみると、カタカナ文というのが、長い期間にわたって、今よりも広い範囲で流通していたことが分かる。
今では、カタカナは擬音語や外来語の表記専用という感じになってしまっているが、もともとは、もっと汎用性の高いものだった。というか、ひらがな文とカタカナ文とは、棲み分けがなされていたのである。
よく戦後教育を受けた者は、戦前の教育を受けた人たちとくらべて、漢字の読み書き能力が随分低いと言われるが、カタカナの読み書き能力も確実に劣っていると考えてよいのではないか。
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