垂渓庵です。
今日の旧暦を入力していて気
がついた。今年は、「年の内に春は来にけり」だったんだ。ネットで検索をかけてみると、多くの人が気づいていたようだ。迂闊なことにわたしは気づいていなかった。いかぬいかぬ。
ピンとこない人のために解説をしておこう。
今年の立春は2月4日(たぶん)。先週の月曜のことだ。本欄の当該日のタイトルを見てもらえれば分かるように、まだ旧暦では12月だ。ということは、旧暦で年が明けないうちに立春がやってきたってわけだ。冒頭で引用したのは「紀貫之」の歌の上の句だ。全体を示すと、
年の内に春は来にけり
ひととせを去年とや言はん今年とや言はん
となる。平安時代は旧暦を使っていた。以後、時に改暦が行われるも、明治初年まで日本では基本的に旧暦が用いられていた。
月の運行と太陽の運行はぴたりと一致している訳ではないので、放っておくと旧暦と太陽の運行とはどんどんずれていく。そのずれを修正しなければ、真夏に正月を迎えるなんてことも起こってくる。それでは社会生活に不便なので、時に「閏月」を挿入してずれを解消していた。もちろん、閏月を挿入しても微妙なずれは出る。それが集積していくと、やはり不都合が生じてくる。というわけで、時に改暦してずれを修正したわけだ。
さて、旧暦とは別に二十四節気ってのがある。これは、立春や立冬、夏至、冬至などを基準に、太陽の運行によって一年を二十四等分したものだ。ここで言う一年は当然太陽の運行をもとにした太陽年だ。
この二十四節気を適宜配当することによって旧暦の月名は定められるようになっている。月の運行を基準にする旧暦=太陰暦に、太陽の運行をもととする太陽暦の要素を加味して、実際の季節の推移と旧暦とが大幅にずれないようにしていると言えばいいだろうか。農業やるにも二十四節気があった方が次ごうがいいだろうし。
というわけで、日本で使われていたような太陰暦は正確には太陰太陽暦と言う。そこでは、理屈の上では、旧暦の正月と、二十四節気の一つである立春との二つの年始があることになる。
冒頭の貫之の歌はそこらの事情をとらえた歌なのだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿