2013年10月16日水曜日

旧暦9/12有栖川さんの「絶叫城殺人事件」

垂渓庵です。

有栖川有栖さんの小説が好きだということは、いつか書いたように思う。けれど、実は、有栖川さんの本を本屋さんで買ったことがない。ことわっておくが、万引きをしているわけでもない。

実は、主に古本屋さんで買いこんでくるのだ。このあたり、畠中めぐみさんの文庫本を、古本屋さんでせっせと買っているのと同様だと言えるだろう。あと、川柳家の朱夏さんにお借りすることもある。なんというか、著者さんにはとても申し訳ない読者と言えるだろう。

さて、そんな風にして有栖川さんの本を読み継いでいるわけだけれど、ファンの一人であることには違いない。網羅的に系統立てて読んでやろうというようなマニアではないけれど。

わたしのミステリー体験は、中学高校までのアガサ・クリスティにほぼ尽きる。あとは、創元推理文庫の「シャーロック・ホームズのライバルたち」と銘打たれたシリーズで、「ソーンダイク」や「隅の老人」や「思考機械」などなどを読んだぐらいか。

その後もミステリーについてはお寒い体験しかしていない。そんなわたしがどうして有栖川さんのファンになったのか、何冊も読み継いでいるのか、自分でも不思議だ。登場人物が大阪弁を使い、大阪あるいは近畿圏が作品の舞台になることが多いからだ、ぐらいに思っていたが、「絶叫城殺人事件」を読んで、どうもそれだけではないと思い直した。

ネタバレになってしまうので詳しくは書けないが、作品終わり近くで語り手の「有栖川有栖」が心の中で叫びを上げるシーンがある。彼はその叫びで、ステレオタイプなコメンテーターのコメントが、人間のどす黒い不可解さにほんのかけらも届いちゃいないことを、切なくも激しく糾弾している。分かった気になってもっともらしいことをしゃべるな、分からないならせめて黙ってろ、と言っているのだ。作品的にはそんな科白はないけれど。

わたしは、たぶん、有栖川さんの作品にある、人間という存在が根源的に有しているせつないまでの不合理さにうちひしがれつつも、決してなくならない共感の深さにひかれているのだと思う。有栖川さんの生み出した火村英生という人物の存在そのものが、そのような危うい人間のありようを見事に映し出しているように思うわけだ。みなさん、有栖川有栖さんの作品をぜひ本屋さんで買って読んでみてください。

0 件のコメント:

コメントを投稿