2013年10月7日月曜日

旧暦9/3 原発事件の三つの責任

垂渓庵です。

原田正純さんの本を読み返していて思うのは、この国の体質は変わっていないということだ。CREW GUYSのアイハラ・リュウ隊員風に言えば、「なんも変わっちゃいねえじゃねえか!」だ。冗談めかして書いているけれど、腹立ちを覚えていないわけではない。

もちろん人間のやることだ。ミスはある。当たり前の話だ。しかし、不作為と強弁、言い逃れをミスとは言わない。

福島第一原発の立地及び施設配置をあんなにバカげたものにしたこと。しかも、想定内であるべき事象を、想定外だと言い逃をした。事故の初期段階でSPEEDを活用せずに、多くの人にせずにすんだかもしれない被爆をさせたこと。やはり初期の段階でとくに子供たちにヨウ素剤を服用させなかったこと。いや、福島県はむしろ回収したのだった。福島県での子供への検査で見つかった甲状腺異常や甲状腺がんを放射線被曝とは無関係だと結論づけたこと、汚染水の漏出を事実確認後即座に国民に報告しなかったこと。などなど。

挙げていけば他にもいくらでもあることだろう。彼らの顔はいったいどっちを向いているのか。正解はあさってかもしれない。要は無責任なのだ。と言ってしまえば、東電、国、県などの組織において誠実に──所属組織にではない。社会に対してだ──事に当たっている方々にすまないけれど。

原田正純さんの『水俣病は終わっていない』には、「水俣病の三つの責任」という項目がある。


原田さんは、水俣病事件──原田さんのことばだ──には、チッソや行政に、「発生させた責任」、「被害を拡大させた責任」、「救済を怠った責任」の三つの責任があるという。水俣病に多少なりとも関心を持つ者には、すとんと腑に落ちる言葉だ。原田さんは、重症患者の浜元二徳さんのことばを引用している。「水俣の患者は三度殺された」。

福島第一原発事件──原田さんにならってそう呼ぶことにする──の収束には、まだ時間がかかる。その過程で上記の三つの責任がないがしろにされないことを強く望む。もしも、責任をとりたくない、とる必要はない、という方が国や東電におられるなら、配置転換をして、福島第一原発事件の収束に向けて、現場で働いていただけばいい。たとえ首相であっても条件は同じだ。例外を認める必要はない。

0 件のコメント:

コメントを投稿