垂渓庵です。
わたしの卒業した大学の国語国文学科の先生方は全部で六名だった。国語学、国語学、上代、中古、中世、近世というラインナップだったか。
あれ、近現代がないとお気づきの方、その通りです。きちんとリサーチをしないで漱石や芥川を勉強しようと思って入学すると、愕然とすることになる。わたしの同期にもそんな奴が約一名いた。仮にIとしておこう。当時は今ほど大学も情報発信などをしていなかったから、調べようとしてもよく分からなかったかもしれない。Iには十分同情の余地がある。
わたしはもともと古典を勉強しようと思っていて、同じ大学を卒業した国語の先生に相談して志望校を決めた。その関係で、あまりきちんとリサーチしていなかった。入学後、近現代の先生がいないと知ったのは、Iと同様だ。が、幸いなことにそれほどダメージを受けることはなかった。
さて、当時のわが国語国文学科は、まんべんなく全部の先生の授業単位を取得しなければならないことになっていた。自分は源氏物語が好きだとか、万葉集を勉強したいのだとか、芭蕉命とか思っていても、好むと好まざるとに関わらず、国語学や他の時代の講読だの特講だのを受講せねばならなかったのである。
今にして思えば、よくいろんなことをやっておいたものという感じだが、当時はいささか苦痛を覚えることもあった。
いちばん苦痛を覚えたのは、古浄瑠璃の授業である。平たく言うと、古浄瑠璃とは、近松以前の古態を残す浄瑠璃のことだ。類型的というか、なんというか、一作だけ読んでも何ほどのことも語れず、たくさん読んで、それで何かを言えるというような感じなのだ。
その古浄瑠璃の演習の時だったと思う。「五王の姫」だったか誰かが、地獄で竹の根を「とうしんでほれよほれよ」と責め立てられる話が出てきたのだ。なんのことやら分からない。辞書などを見、調べを進めると、どうやら子供ができない女性が落ちる地獄らしい。
「とうしん」は、「灯心」で、ロウソクの真ん中の糸のようなやつのことだと思ってもらえばいい。あれで、ねじくれてうねうと延びている竹の根っこを掘らせるというのだ。そんなの掘れるか、ひどくねえか、とは思ったものの、発表準備で忙しく、それどころではなかった。とりあえず、ひたすらいろんなものを見まくって、類例を集めて発表をでっちあげたのではなかったか。
その後、どこかの博物館の展覧会で、寺院の絵解きに用いたでっかい一枚ものの地獄絵の中に、灯心地獄の一場面が描かれているのを見つけて、ちょっと興奮したことがある。「灯心地獄」は、由緒正しい仏典に出て来る地獄ではなく、どうやら日本で考案された地獄のようなのだ。語り物だけじゃなく、絵解きの地獄絵に出てくるということが、この「地獄」の物語が、どのような範囲で受容されていたのかをある程度物語っているということだ。
というようなことを、古本屋さんで『絵解き台本集』を見つけた折りに思い出したので書いてみた。なんか、もう一つ日本で考案された地獄があったような気がするのだけれど、ちょっと思い出せない。
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