2014年9月13日土曜日

旧暦8/20 朝日新聞の往生際

垂渓庵です。

朝日新聞社社長が、「吉田調書」や「吉田発言」について、記事は嘘でしたと謝罪した。

ニュースステーションでは、朝日新聞の論説委員の方だったかな、その人も謝罪したようだ。

紙面でも「吉田発言」は嘘でしたという検証記事を載せたのだったか。

ま、間違いは誰にでもある。間違ったら訂正すればいいし、迷惑をかけたなら謝ればいい。それだけのことだ。


が、である。朝日新聞の記者も論説委員も社長も──ひょっとして朝日新聞の社員はどいつもこいつもなのか? と思わず疑いたくなってしまう──極めて往生際の悪いというか、見ていてあからさまに不快な物言いをする。


彼らは、一様に言う。「誤解されてしまうような言い方をしてごめん。でも、従軍慰安婦の強制連行があったのは事実だし、それは言い続けていくよ」と。言い回しは違うけれど、そんな風なことを言いたれておられる。

どこの世界に、窓ガラスを割って、「窓ガラスを割ったのはごめんなさい。でも、ボール遊びは体力作りにもいいし、これからも続けるよ」などという謝り方をするやつがいるのか。「お財布から勝手にお金を抜き取ってごめん。でも、頭の訓練になるものもあるからゲームはやめないよ」などとぬけぬけと言うやつがいたらお目にかかりたい。

わたしは、自分の子どもが──いや、生徒でもだ──そんな謝り方をすれば、間違いなく叱りつける。謝る時にはきちんと謝る。それ以上や以下である必要はない。余計な文言などくっつけなくていいのだ。

かつて従軍慰安婦と言われる方々がいたことは事実だ。中にはやむにやまれぬ事情から、心ならずも慰安婦となった方もおられるだろう。韓国朝鮮籍の方々だけではなく、日本のかたでも同じことだ。それは戦争に起因する不幸な出来事だった。強制性や軍の組織的な関与があったかについては朝日新聞と意見を異にする人たちも、そのことを認めるのにやぶさかではないだろう。

朝日新聞の紙面を担う連中の主義主張のために、従軍慰安婦だった方々の不幸があるわけではない。本当に慰安婦だった方々のために何かをしようと思うのなら、まず自分自身謙虚な姿勢を持ち、誤報というか虚報というか、そんなとんでもない過ちをしでかした以上、まずは誠心誠意謝らなければならないのではないか。読者にだけではない。慰安婦だった方々にもだ。自身の取り組みを口にするのはその後のことだ。このしたり顔はまことに鼻持ちならない。

そんなことだからマスゴミなどと人に後ろ指を指されるようになるのだ。うしろゆびさされ組の足下にも及ばないぞ、あなたたちは。

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