垂渓庵です。
ナボコフの小説読みの作法を音楽聴きにあてはめて一言で言うと、音楽を聴く際は、作曲の妙や演奏の妙を味わい尽くせ、ということになるだろう。これはもっともな意見のように思える。とくにクラシックなどはそういう聴き方をするものなんじゃなかろうか。わたしはクラシックをほとんど聴かないので想像だけれど。ジャズにしても、プレイヤーのアドリブのできや音などが云々されることが多いように思う。
しかし、わたしはそういう聴き方をあまりしない。音にその人を重ね合わせてしまうのだ。
たとえばルイ・アームストロングの場合。
サッチモ、ルイ・アームストロングが死ぬ一年前、彼の70歳の誕生日を祝うセッションが行われた。サッチモはのどの手術をしていたのだったか、もうトランペットを吹くことができなかった。そのため、そのセッションにはボーカルでのみ参加した。そのセッションは、LOUIS ARMSTRONG AND HIS FRIENDSというCDに収められている。
実はそのセッションにボーカルのみで参加したミュージシャンは他にたくさんいる。マイルス・デイビス、オーネット・コールマン、チコ・ハミルトン、トニー・ベネットなどなど、わたしでも知っている超ビッグネームがごろごろと並んでいる。
トニー・ベネットはともかくとして、どうして彼らがボーカルで参加することになったかというと、当時のミュージシャンとレコード会社の契約の関係だったそうだ。それぞれのミュージシャンが専属契約する会社に無断で他のレコード会社のレコードのために演奏することができなかったためということらしい。
そういうわけで、マイルスはトランペットを、オーネット・コールマンはサックスを置き、チコ・ハミルトンはドラムセットを離れて、サッチモのバックコーラスを務めることになったわけだ。
当然バックコーラスはお世辞にも美しいとは言えない。雑然としたウイアーザワールドみたいな感じになっていると言えばいいだろうか。喉の状態がよくなかったのだろう、サッチモのボーカルもはっきり言ってさえないものになっている。
そんな感じの曲が、いやアルバムが、実はわたしのお気に入りだったりするのである。その辺の事情は、またこの次ということにしよう。
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