2015年8月10日月曜日

旧暦6/26 ラノベと星新一 3

垂渓庵です。

暑い。けど、明け方は少し風が吹き、気持ちいい。太陽が顔を覗かせると、すぐに暑くなるけれど。

ラノベにはミステリー風の作品もこれまたたくさんある。殺人事件だけではなく、日常の謎を追いかけるものも含めれば、ランダムにラノベを手に取れば、何回かに一回は何らかの謎を解くものを手にすることになるだろう。

それらは、主人公が高校生~20代前半で、なおかつユーモアや恋愛で味付けされたものも多い。想定される読者にとっては、やはり身近なものとなっている。と思われる。

さて、一方、1960、70年代はどうか。アガサ・クリスティやエラリー・クイーン、松本清張、横溝正史などなど、読まれたであろうミステリ作家はいくらも思い浮かべられる。どれも面白いものである。が、想定される読者はやはり一般人だろう。

当時の中高生はミステリを読むにあたっても、多かれ少なかれ背伸びをしていたんじゃないかと考えることができる。

以上のように考えてみると、現代の中高生は、無理せず身の丈に合った読書をするという意味では恵まれていると言えそうだ。が、その状況を喜んでばかりもいられないような気がする。成長期に背伸びをしたからといって、物理的に背は伸びない。けれども、精神的な背伸びは、心の成長に何がしかの影響を与えずにはおかないように思う。

また、手に入る喜びの大きさも異なるんじゃないか。もちろん、ラノベによっても、思いもかけなかった世界の姿に気付くこともできる。痛切な感情を追体験することも可能だ。その結果、結構な満足感を抱けたりもする。が、それを何らかのハードルを乗り越えた末に手に入れるという要素は、あまりない。やっぱり苦労した方が達成感や喜びは大きいと思うのである。

精神的な成長、手に入る喜びの大きさ、そこらあたりで、今の中高生とかつての中高生の読書のありようが異なってきているように思うわけである。

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