垂渓庵です。
またもや自分で教材を作るべく四苦八苦している。よっぽど暇なんだな。おれ。
というわけで、今回も「、仏教がらみの説話をせっせとワープロ入力→簡単な注を作成」という作業にいそしんでいる。
とりあえず五つほど説話をストックした。これで新学期の前半は保つだろうという算段である。漢文を途中でほうりこむことを考えれば、二学期のかなりの部分を乗り切ることができるだろう。いや、乗り切りたい。こんな面倒な作業をしているのだから。
作業の合間に自分が持っている仏教関係の本に軽く目を通していた。なんといっても素養が不足しているのだからしようがない。分からないことがいくつもあるのだ。にわか勉強である。
そんな中に、大学の大先輩ヒロタさんの本があった。数年前にお亡くなりになっている。
その本を職場への行き帰りの電車の中でひもとくと、一枚の紙がでてきた。誤植の訂正かなと思って見てみると、「いつかの日に受講してくださったあなたに、この本をお送りします。」とある。ああ、ヒロタさんからもらった本だったんだ、これ。
紙を眺めていると、狭い部屋でオカダさんやテラシマたちとヒロタさんを囲んでお話をうかがったこと、その際の話しぶり、飲み会での自由闊達な様子、などなどを稲妻のように思い出した。
それにしても、この紙切れの文言はヒロタさんらしくないなあ、と思った瞬間、不覚にも涙をながしそうになった。あれはいったいどういう感情の高まりなのか。恩師、というわけではない。特に親しくしていただいた、ということもない。
大学に籍を置いて勉強していた頃のことが単純に懐かしかったから、というのでもなさそうな気がする。何だったんだろう。ひょっとしたら諸行の無常を感じた、ということなのだろうか。今でもよく分からない。
ともあれ、紙を眺めながら、しばしヒロタさんの冥福を祈った。
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