垂渓庵です。
前にも書いたかも知れないが、最近少女漫画を読んでいる。電子書籍というのはとても便利な媒体で、コミック類の試し読みも可能だ。数ページというのではない。まるまる一冊分ということもざらにある。もちろん、発刊されているタイトル全てではないだろうけれど、あたりをつけるのに便利だ。
期間限定で無料になっているものも多いが、時には一巻目が無料になっていることもある。場合によっては、三巻目ぐらいまで無料のことも。
そんなこんなで、この三月あたりから、延べでコミック500冊ぐらいは目を通しただろうか。そんなに暇なのか、おれ。
ところで、この文章の第二段落の一文目と二文目が実はつながっていない。男のわたしが少女漫画を読むことと、電子書籍が便利だということの間には、論理的な必然性がないからだ。少年漫画だっていいじゃないか、青年コミックはどうなのだ、いっそレディースコミックはどうか、という疑問が出て来るでしょう?
少年漫画や青年コミックが悪いわけではない。6月のエントリーにもkindleで読んだお気に入りの青年コミックをあげてある。
が、登場人物の心理を微細に描く点においては、少女漫画が一番なのではないかと思う。相対的にですよ。何でもかんでも少女漫画がよいというわけではない。
作品の中で中心になる人物を考えてみよう。少女漫画の場合、女の子を中心とする話がもちろん多いわけだけれど、男の子が中心となるものもけっこうある。たとえば『俺物語』あるいは『アポロンの坂』。どちらにしても、少女漫画の一番大きな主題は恋愛ということになるだろう。時には百合やBLものなどの特殊な恋愛も含まれる。
一方の少年漫画の場合はどうかというと、やはり男の子が主人公となることが圧倒的に多いんじゃないかと思う。もちろん女の子が主人公になることもある。やや青年・成人向けにシフトするかもしれないが、山本貴嗣さんの作品などの場合がそうだろう。が、概して言うと少年漫画は、男の子が中心の友情、恋愛、成長物語という面が強いように思う。
さて、人間の微妙な心理を深いところまで描くことが多いのはどちらの場合かを考えてみよう。日本の優れた古典の一つが『源氏物語』であることに異論はないだろう。そこにはさまざまな恋愛のありようが描かれている。そして、紫式部はそこで女性の幸せとは何かについて繰り返し繰り返し問いかけている。ということは、当時の男についても光源氏やその他の男を通して考察していると言っていいだろう。人間の複雑なありようがとても掘り下げられているのだ。
恋愛というものは、人に喜びとともに苦悩や悲しみを感じさせる面があり、複雑性を持った自己や他者について突き詰めて考える契機となりうる体験であると言える。その恋愛をもっぱらとりあげる少女漫画が、複雑な人間存在について深いレベルで表現することを達成する可能性は、恋愛が作品の一要素にとどまるところの多い少年漫画よりも高いのではないか。
少なくとも、作品の中心として焦点を当てられる人物が男でも女でも自在に設定できる少女漫画の方が、より自由で柔軟な形で人間をとらえていると言えるのではないかと思う。もちろん、少女漫画特有のステレオタイプ的なとらえ方にとどまっている場合も多いけれど。
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