2012年9月26日水曜日

旧暦8/11 読み合わせ

垂渓庵です。

一昨日の食い合わせの記事を書いていてちょっと思った。本にも一緒に読んではいけない組み合わせというものがあるんじゃないだろうか。
まず、単純に紛らわしくなってしまう場合がある。 わたしが今読んでいる本で言うと、カーメン・ブラッカーの『あずさ弓』と小田晋の『日本の狂気誌』だ。けっこう重なる領域を対象にしたものであるためか、紛らわしいことこの上ない。というわけで、『日本の狂気誌』は一時お預けにしている。

それにしても、カーメン・ブラッカーという人の名前は怪しげだ、と常々思っていた。が、改めていま入力した文字面を眺めてみても普通の名前だ。どうして怪しいと思ってしまうんだろうと考えて、ハッと気がついた。銀河旋風ブライガーの敵役、ヌビアコネクションの首領、カーメン・カーメンの印象に引きずられていたようだ。あいつはシャーマンみたいだったし。カーメン・カーメンがどんなに怪しげかは、画像検索の結果をご覧下さい。


という話はどうでもいい。 本の食い合わせ=読み合わせの話だ。紛らわしいわけではないけれども、相乗効果で陰々滅々たる気分になるという組み合わせもある。たとえば、フランクルの『夜と霧』とソルジェニーツィンの『収容所群島』。この組み合わせはいただけない。ここに石牟礼道子さんの『苦界浄土』や『天の魚』が組み合わさってしまった日には、とんでもないことになる。わたしはこの四つを並行して読んだわけではない。比較的近接した時期に読んだに過ぎない。けれど、その間のどんどん薄暗さが増していく曇天のような気分は忘れられない。

全然違うタイプの本の組み合わせでも、どうもよろしくない場合がある。たとえば、重厚でがっちりしたものを読んだ後に、適当に知識を切り貼りして読みよくしました、というような感じの新書を読んだような場合だ。そんなことをしてしまった日にゃ、とても時間を無駄にしたような気になる。差し障りがあるといけないので、具体的な書名までは書かないけれど。あ、読み応えのある本なら書けるか。論考で言うなら、亀井孝やポール・ジョンソンやカルロ・ギンズブルグ、小説ならゴーゴリやボルヘスやカルヴィーノなどなど。泉鏡花もいいかもしれない。すかすかの本は、適当にこれまで外れだった本をあてはめて下さい。

もっと他にも読み合わせの悪い組み合わせはいっぱいあるかもしれないな。

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