垂渓庵です。
ワークシェアリングということばが、女性の社会参加とセットで論じられている気がする。この二つを組み合わせて考えると、どうも不思議な気がするのである。
前々回だったかに書いたように、わたしは、次のような図式で女性や高齢者が労働力として経済活動に組み込まれるようになるのだと思っていた。
人口減に伴う労働人口(従来の主力は男性)の減少
↓
経済活動を極力現状レベルで維持したい
↓
女性や高齢者を労働人口に組み込むことでそれを補完
↓
経済活動の維持を実現
要は足りなくなる分を女性や高齢者で補いましょうというわけだ。しかし、上の論理にワークシェアリングはなじまない。だって、単純に足りない分を補うのだったら、ワークをシェアする必要なんかないのだから。そう考えると、女性や高齢者の社会参加とワークシェアリングとの併存は、経済規模云々とは違う理由で行われるのかもしれないと想像されてくる。というわけで、次のような図式を考えてみる。
男女平等、高齢者の処遇などの対策の必要性
↓
女性や高齢者を労働人口に組み入れる
↓
総労働量に対して労働人口が超過
↓
ワークシェアリングの導入
しかし、ワークをシェアすると、雇用保険や社員教育その他の負担が増えるから、企業活動にマイナスの影響を及ぼす可能性がある。そんなことを政府が推進するとは考えにくい。それなのに、政府あるいはその周辺は、女性や高齢者を社会参加に積極的に誘導しようとしている。なぜだろう。というわけで、本音のところでは、次のようなことを考えているのではないかと推測される。
人口減に伴う労働人口(従来の主力は男性)の減少
↓
経済規模は縮小せざるを得ないが、縮小幅を抑えたい
↓
人件費のカット
↓
女性や高齢者をコストの低い労働人口として活用する
↓
経済活動の縮小幅の圧縮を実現
ワークのシェアなんて実は本気で考えているのではなく、安い労働力を確保したいのではないかということだ。もちろん、これまで実質的に主力であった男性も、補助的な労働人口としてとらえられるようになるのかもしれない。男女平等だし。となると、共働きはマストとなる。その日に備えて保育園の拡充や育児休業の長期化などの飴が必要だというのもうなずける。
子どもはどこまでも置いてきぼりだ。
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