垂渓庵です。
先週とりあげた「劫」には、「芥子劫」の他に、もう一つ有名な比喩的説明がある。「磐石劫」がそれだ。こちらにはでかい石と天女が登場する。
まず7.5㎞四方のでかい石を想像してみよう。ええと、やっぱり想像しにくいですか。でも無理にでも想像して下さい。
で、100年に一度空から天女が舞い降りてきて、身にまとっている軽やかな羽衣でその石の表面をそっと払う。そうして天女が百年に一度払い続けて石が完全に摩滅しても、まだ「一劫」は経過していない…。…。
天女の羽衣じゃなくてカーシー産の綿ネルで払うという説もある。パジャマなどを想像すればいいのかな。
風化作用を考えに入れないなら、こちらの方が「芥子劫」よりも長そうな気がする。どう考えても、布でさっと軽く払うぐらいで芥子の実一つ部分も石が摩耗するとは思えないし。というか、そもそも、天女の羽衣だか綿ネルだか知らないけれど、そんなものでさっと払うぐらいで、石が摩耗するのだろうか。仮に摩耗するとしても、分子レベルで何個というものでしかないような気もする。
あるいは、風化作用を考えに入れるのかもしれない。もしもそうなら、この「払う」という行為は、でかい石が風化してできた砂などを払い落とす行為を指しているともとれそうだ。7.5㎞四方の石の表面から、風化した砂粒などを払うのは、結構な重労働作業だ。天女も大変だ。人海戦術で行くのだろうか。
などとバカなことを考えている場合ではない。ともかく、風化作用を勘定に入れるなら、「芥子劫」よりも短い時間になるのかなという気もする。気もするが、長い時間であることに変わりはない。
というような比較をする気力を失わせるような長さだな。やっぱり古代インドの民の考えることは分からない。次は水曜の更新です。
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