垂渓庵です。
前回の「あきつのとなめ」からえらいこと間が空いてしまった。今回はその続きです。遅れてすまぬすまぬ。
仏教は壮大な時空感覚を持っている。
仏教の世界観によれば、世界の中心には須弥山という巨大な山がそびえている。
須弥山は、底面が8万由旬四方、海面までと海面からの高さがそれぞれ8万由旬ある直方体だ。1由旬は約7.5㎞なので、海抜約60万㎞。ちなみに、月までの距離が38万㎞だ。須弥山という山がいかに途方もないかがよく分かるだろう。
須弥山の周りは何重にも山が取り巻いているのだけれど、説明が面倒なので省略。その幾重もの山の外側に四つの島がある。須弥山の東側にあるのが勝身州、南側にあるのが贍部州、西側にあるのが牛貨州、北側にあるのが倶廬州。それぞれ、半月形、台形、半円形、正方形の形をしている。
我々人間は、台形の贍部州に住んでいることになっている。ちなみに、孫悟空の生まれたのは、東側の勝身州花果山だ。堺正章さんが悟空をやった『西遊記』のオープニングで「とうしょうしんしゅう」やら「かかざん」やらという台詞があったのを覚えている人もいることだろう。あの「とうしょうしんしゅう」は漢字をあてると、「東勝身(神)州」となる。
話を戻そう。人間の住んでいる贍部州は台形だと書いた。下底が北側、上底が南側で、下底近くには雪山があり、四つの河の源となっている。と書くとピンと来る人もいるんじゃないか。そう、その形は恐らくはインド亜大陸を模している。雪山はヒマラヤだ。四つの河は、インダス川、ガンジス川などに比定できるのではないか。古代インドの人々にとって、人間の住む土地とはすなわちインドそのものだったのだ。
もちろん、高々度から俯瞰することなどできなたはずがない。誰かが形状を目視したわけではないだろう。恐らくは、沿岸を船で行く者や内陸を旅する者たちの知識を総合することで漠然と、形状の認識ができたのではないか。
西岸を旅する者は、大きい目で見た場合、海岸線が南東─北西方向に延びていることを経験上認識できたろう。東岸を行く者は、北東─南西方向に延びていることに気づいたはずだ。北の地を行く者は、東西にヒマラヤ山系の高峰が連なっていることを容易に知り得たことだろう。
一個人がその全てを経験することはなかったかもしれないが、そのような知識の断片を総合すれば、インド亜大陸のおおよその形は想像することができたはずだ。
それと同じことが、より小さな規模で日本で起こったと考えてみよう。日本海側の海岸線にしても、太平洋側の海岸線にしても、西日本ではおおむね北東─南西に、東日本ではおおむね北─南に延びている。海を行く者たちの知識を総合すれば、その大きな屈曲を知ることも不可能ではなかったに違いない。行基図にしてからが、微妙にその屈曲を表現している。
そう考えると、
「あきつのとなめ」
↓
地名としての「あきつしま」
↓
湾曲した「あきつ」と日本の形状との類比
↓
日本の名称としての「あきつしま」の採用
という流れがあったと考えていいんじゃないかと思えるのである。
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