2012年8月2日木曜日

旧暦6/15 あきつのとなめ

垂渓庵です。

先日、この表題で、うっかり文章を全く書かないままに、記事をアップしてしまった。まいどのことながら、すまぬすまぬ。今回はそのリベンジである。

日本書紀には、神武天皇が巡幸し、掖上の地で国見をして、大和の地を「蜻蛉のとなめの如くにあるかな(蜻蛉が交尾しているような様子であるな)」と言ったという記載がある。蜻蛉のとなめとは、こんな形状を言う。恐らくは、大和盆地を囲繞する山々の連なりを交尾中の蜻蛉に見立てたものだろう。

国見というのは、こんな毒にも薬にもならぬことを言う行為だったのだろうか。神武さんは何を思ってこんなことを言ったのだろう。生命力を暗示するものにたとえることで、大和の地を予祝したということなのか。しかし、たとえたのが蜻蛉の交尾とは、あまりにもちっぽけなのではあるまいか。

実は、ということが今回の本題ではない。その「あきつのとなめ」がもとになって、日本全体をも「秋津島」と呼ぶようになった。もちろん、上の写真と日本列島とは、全く似つかない形をしている。似ていたら日本はいびつな環礁だ。が、「となめ」をしている蜻蛉の一匹に注目してみると、ぐぐっと湾曲しているところが日本列島と似ていなくもない。

偶然の一致なのだろうと思う。思うが、日本列島全体の形状と、「となめ」をしているトンボ一匹の形状との暗合を踏まえて「秋津島」の名前が広く採用されることになった、という線の可能性もなくはないんじゃないかと思ってみたりもする。そこらあたりについて明日書いてみたい。

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