垂渓庵です。
おとついは、「あきつのとなめ」を考えるついでに、仏教の空間概念の一端を紹介した。今日は、「劫(こう)」という時間の単位を巡って、時間概念の一端を紹介してみよう。これがまた途方もないものなのである。ところで、おとついの記事には、上底、下底の表記と方位とに誤りがあったので訂正しておいた。すみませぬすみませぬ。
さて、「劫」という時間単位について。これはとにかくべらぼうに長い時間だ。どのくらい長いのかも比喩的にしか語られない。そしてその比喩の表すところのものを想像するだけで気が遠くなる。
「劫」の比喩的説明の一つには、芥子(けし)の実が登場する。ゆえに「芥子劫」と言われる。念のために書いておくと、芥子の実というのは、アンパンの上に散らばっているあの小さい点々だ。
さて、だいたい7.5㎞四方の升にいっぱい芥子の実が入っているところを想像してみよう。想像しにくいかもしれないけれど、とにかく想像して下さい。その超巨大な升の中の細かな芥子の実を100年に一粒取り出していく。一粒ずつです。で、
全部取り出し終わっても、まだ「一劫」は経過していない…。
数字に強い人は実際にどれほどの長さになるのか計算してみても面白いかもしれない。芥子の実の容積は、あんパンを買ってくれば分かる。
参考までに、現在のところ地球の年齢は45億年ぐらいと見込まれているようだ。ということは、必要な芥子の実の数は4500万粒。仮に一粒の容積を1立方ミリメートルとしよう。そうすると、容積は4500万立方ミリメートル=45000立方センチメートルとなる。見慣れた単位に換算すると、1000立方センチメートルが1リットルなので、45リットルだ。一升瓶で25本。
対するに、7.5㎞四方の升の容積は、約4200億立方メートル。地球の年齢ぐらいだと、圧倒的に芥子の実の負けだ。芥子の実の容積が仮に1立方メートルあったとしても、升の中には4200億粒入る。……。
インドの人たちはなんでこんなに長い時間を考えたんだろう。
次は来週月曜の更新です。
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