垂渓庵です。
仏教の世界観によれば、この宇宙は生成と消滅を繰り返している。そのサイクルの説明の中で、前回、前々回と紹介した「劫」という時間単位が登場する。
仏教の世界観では宇宙の生成と消滅のサイクルをどう説明しているか。基本的なサイクルは、「壊→空→成→住」の四つがぐるぐると巡る。それぞれの段階に20劫かかるということなので、一サイクルが完成するには、20劫×4=80劫の時間が必要だということになる。この一サイクルの長さを大劫と呼ぶ。芥子粒入りの升80杯、あるいは、同じ大きさの巨石&重労働を課される天女が80セット必要となるわけだ。気が遠くなりそうだな。
古代の仏教徒の暴走は止まらない。彼らは64の大劫が一つの周期を成していると考える。そして、その間に、「火災」だの「水災」だの「風災」だのによって、なんと、ある程度煩悩を断ち切った者の世界の大部分も周期的に消滅するとする。
一番恐いのは「風災」だ。煩悩からの離脱度によって初禅天、二禅天、三禅天、四禅天の四つの禅天があるそうだが、そのうちの三つまでが滅びてしまう。残るのは四禅天のみだということだ。宇宙の消滅のサイクルに飲み込まれたくない人は、何としても四禅天までたどりつかないといけない。末法どころの騒ぎではない。
この64の大劫から成る周期を六十四転大劫と言う。この間には、80×64=5120劫が過ぎ去ることとなる。
ここまでくると、過ぎ去る時間のあまりの膨大さに呆然となってしまって、何を言いたいのか、実はあまりよく分からなかったりする。
本当に、古代の仏教徒=インド人は、どうしてこれほどまでに途方もない時間を考える必要があったのだろう。
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