2012年8月27日月曜日

旧暦7/10 自由研究──余滴編

垂渓庵です。

この夏の自由研究もこれが最後だ。もっとも、中心部分の考察は終わっている。今回は、水木しげるさんの心中を忖度してみることにする。

鬼太郎は、後のリメイクで夢子ちゃんというキャラクターが投入されたり、猫娘がやたらにかわいくなったりしているが、水木しげるさんが気に入っているのかどうか定かではない。というよりも、そのあたりにはあまり思い入れがないんじゃないかと考えられる。

もちろん、オールドファンの願望からの単なる当てずっぽうではない。それなりの根拠はある。もう十年以上前になると思うけれど、生徒対象の講演会に水木さんを呼んだことがあるのだ。

以前から水木さんの作品が好きだったわたしは、当然色紙にサインを書いてもらった。今でもわたしの家の本の部屋には鬼太郎とねずみ男のサイン色紙が飾られている。めだまおやじのもあったけれど、人にあげた。そうだ、急遽新刊で買い求めた本にもサインをしてもらったのだった。という話は、実はあまり本筋とは関係ない。

講演会では、戦争体験や漫画家としての体験などを話された後、生徒からの質疑応答のコーナーがあった。そこで、鬼太郎のキャラクターの中でどのキャラクターが好きですかという質問が出た。答えはねずみ男か誰かだったような気がするけれど、もはや定かではない。確かその答えに続いて「夢子ちゃん」はどうですかという質問が出たのだ。それに対する水木さんの反応はよく覚えている。

最初水木さんは何のことか分からないような感じで微妙に間が空き、司会進行の先生が「夢子ちゃんという登場人物についてですが、いかがですか」と言って答えを促すと、ああ、あれねという感じで、リアクションらしいリアクションもないまま水木さんは質問をスルーしたのだった。

わたしはその様子を見ていて、「夢子ちゃん」というキャラクターは、子どもに受け容れられやすくなるように、アニメの制作サイドの意向が働いて投入されたのだろうと思った。たぶんその想像は間違っていないと思う。もともと「墓場鬼太郎」のような形で作品をスタートした水木さんの趣味とは違うものだと思われる。猫娘が可愛いキャラクターになったのも同様の線で考えられるんじゃないか。やはり水木さんの発案というよりも、制作サイドの意向のような気がするのだ。

ここからは想像になるけれど、後のシリーズになればなるほど、水木さんの関与度は低いのではなかろうか。漫画時代の鬼太郎にはアンチヒーロー的な雰囲気が濃厚だった。それが最初にテレビシリーズ化された際に、人間寄りの存在となった。その後は、どんどん人間に傾斜しているようだ。もう鬼太郎は妖怪でなくてもいいんじゃないかと思わなくもないほどに。

テレビシリーズの鬼太郎を見て水木さんは何を思うのだろうか。実は何も思わないんではないかという気がしなくもなくなくなかったりもする。

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