垂渓庵です。
わたしは学生の頃、王朝和歌を専門の研究対象としていたが、さまざまな分野に首を突っ込んでいた。というか、わたしの通っていた大学では卒業オア修了のためには、各時代に渉るさまざまな分野の単位が必要だった。
で、その中に、伊藤正義先生の授業があった。先生は学部で謡曲や歌学書を扱い、大学院では宴曲を扱っておられた。先生について思い出を記した先代のブログがあるのだけれど、うまくリンクが張れない。興味のある人は、「伊藤正義 勧君金屈巵」でググってください。トップにその記事が出てくる。
その先生の縁で、国文談話会中世部会という研究会に出席させていただくことになった。わたしが出席していた頃は、和歌色葉の輪読をしておられた。
で、当然わたしの順番も回ってくる。四苦八苦しながら担当をこなし、最後のまとめをさせていただいたりした。たしかテラシマといっしょにだったかな。あるいはクロダさんとだったか。わたしは、先行歌学書との比較対象から、和歌色葉の注釈態度を考えるというような発表をしたように思う。
今にして思えばちょっと大風呂敷を広げた内容だった。同席していた中世和歌のカミジョウ先生からは面白いというお言葉をいただいたけれど。どうしてわたしにそんな役が回ってきたのだろう。もちろん、おもしろがってあれやこれやと意見を述べていたということもあるだろう。けれども、その場には和歌色葉研究の第一人者にして気鋭の研究者、黒田彰子さんがおられたのだ。
やっぱり伊藤先生や黒田さんをはじめとした諸先輩方のご厚意があればこそだったのだろう。ありがたい話だ。当時としてはとても緊張したけれど。
で、先行歌学書との対比を進めていくうちに、和歌色葉の作者上覚がどんな態度で注釈を行っていたのか見えたような気がした。その内容を発表したのだ。発表原稿は5インチのフロッピーディスクに入っているはずだ。5インチだ、5インチ。つくづく流れ去った時間を感じる。
上げることのできた成果はともかくとして、当時は今よりも真剣に勉強していたと思う。ちょっと初心に返ってきちんと勉強してみようか。
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