2012年6月12日火曜日

旧暦4/23 乳母車と大隈重信

垂渓庵です。

最近、『戊辰物語』(岩波文庫)という本を読んでいる。明治維新前後を生きた人達の聞き書きのようなもので、東京日々新聞に連載された。佐藤忠男さんの解説にもあるように──と書いたものの、佐藤忠男さんがどんな人なのか実はよく知らないのだけれど──、とても面白い本だ。

その本に次のような一節がある。
私が黒田藩の留学生として上京、銀座を歩いていると、今の出雲橋から珍しい馬車が来た。幌はランプの笠のようになっていて前の車が小さい。一頭立てで馬丁が後の方に乗っている。中をのぞくと大隈参議がチョンまげ頭で威風堂々とそり返っている。私は大臣参議となれば結構な新流行の馬車に乗るものだということを知って、子供心にもうらやましくなった。(以上本文 p103-104)

大隈参議というのは、大隈重信のこと。ランプの笠のような幌というのがどうもイメージしにくいのだけれど、傘をさしかけたような形になっているということだろうか。ちょっと変わった形だ。そんな新式馬車があったのか、大隈があつらえて作らせたのかはっきりしないが、大隈にしてみれば得意だったに違いない。

この逸話の末尾に「金子子爵談」とあるので、明治憲法の起草に加わった金子堅太郎の思い出話だということが分かる。江戸に勉強に行くのも「留学」だったというところが興味深い。

さて、さらに興味深いのが、この逸話の後段だ。

それから後の話だが、私はアメリカに留学した。そしてニューヨークからボストンに入った。四月頃のことでボストンの公園を散歩すると公園内におびただしい馬車が来ておる。その馬車は、いつぞや銀座で見た大隈参議の馬車そっくりで、どの車にも乳母と子供が乗っておる。不審に思ったので通りがかりの米人に「アノ馬車は日本では参議という大官の乗るものだが、ボストンではどんな人が乗るか」と聞いた。すると米人はアハーと大きな口をあけて笑って、「そうか、アメリカでは乳母車だよ」と、また一つ大きく笑った。(以上本文 p104)

なんと、大隈は乳母車にふんぞり返っていたということなのだ。金子も全然うらやむ必要はなかったということか。ベビー服を着ておしゃぶりをくわえていれば完璧だけれど、さすがにそれはないと思う。いや、思いたい。もちろん、ベビー用馬車とはいえ、大の大人が乗るわけだから、それなりにスケールアップされたものだったのだろうが、いくらなんでも大隈が自ら乳母車を自分用にあつらえるとは思えない。誰かが売りつけたのだろう。しかし、誰がそんなものを日本で売り出したんだろう。侮れないやつだという気がする。

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