垂渓庵です。
昨日書いたように、大隈重信が明治維新期に乳母車を乗りまわしていたというのは、どうも確からしい。けれど、ひとつ疑問が残る。おとついの記事を思い出してほしい。金子堅太郎がボストンで見た乳母車は、馬が引いていた。馬の引く乳母車なんて本当にあったのだろうか。ひょっとして金子の聞き違いではないか。
ちょっと気になったので、さらに調べを進めてみた。ひょっとしたら大隈の名誉も回復されるかもしれない。ま、されなくてもわたしとしては余り困らないが、乗りかかった船というやつだ。大隈が乗っていたのは乳母車だけれど…。
困った時のウィキペディア頼みとはよく言われることだが、今回もそうしてみた。ただし、日本版はあまり役に立たない。というわけで、英語版Wikipediaの登場だ。本欄初のことかもしれない。項目は、「Baby Transport」。実は、この項目にたどり着くまでけっこう曲折があったのだけれど、面倒なので省略。
さて、早速その一節を引用してみよう。
William Kent developed an early pram in 1733.
He was a garden architect in England who had become well known for his
work. In 1733, the Duke of Devonshire asked Kent to build a means of
transportation that would carry his children. Kent obliged by
constructing a shell shaped basket on wheels that the children could sit
in. This was richly decorated and meant to be pulled by a goat or small
pony. Benjamin Potter Crandall sold baby carriages in America in the
1830s which have been described as the "first baby carriages
manufactured in America" His son, Jesse Armour Crandoll
was issued a number of patents for improvements and additions to the
standard models. These included adding a brake to carriages, a model
which folded, designs for parasols and an umbrella hanger. By 1840, the
baby carriage became extremely popular. Queen Victoria bought three carriages from Hitchings Baby Store.
馬が引く乳母車の正体がおわかりになったことと思う。え、お分かりにならない。確かに分かりにくい。じゃあ、分かる範囲で英訳をしてみよう。
ウイリアム・ケントは1733年に初期の乳母車を制作した。彼はイギリスの庭師で、庭師として世に名前を知られるようになっていた。1733年、デヴォンシャー公はケントに自分の子どもたちを乗せて運ぶための移動手段を作るように依頼した。ケントは快く貝殻の形をした籠を車輪の上に載せたものを組み立てた。それはぜいたくに飾り付けられていて、山羊か小さなポニーに引かれるようになっていた。ベンジャミン・ポッター・クランドールは、「初のアメリカ製乳母車」と説明されてきた乳母車を、1830年代にアメリカで販売した。クランドールの息子であるジェス・アーマー・クランドールは、標準モデルへの改良点と追加点に関して数多くの特許を発行された。それらには、ブレーキの追加、折りたたみ可能タイプ、日傘に適した意匠と傘かけが含まれる。1840年までには乳母車は極めて一般的なものになっていた。ヴィクトリア女王はヒッチングスベビーストアで乳母車を三台購入した。
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