垂渓庵です。
東京でオリンピックが開かれることに決まった。福島第一原発事故の収束もおぼつかない状況下でやっちゃっていいのか、という気がしないでもないが、開かれる以上は、選手の方々にはぜひがんばってもらいたい。
というわけで、江戸のケンミンSHOW第一回は、オリンピック招致にちなんで、武蔵国だ。ちなみに、第一回近代オリンピックはアテネで開かれた。
武蔵の国の風俗、闊達にして気広し。たとへば秘蔵の道具を過ちによって損ずる時は、その者の恐れ哀しむはもっともなるに、その主かつて後悔の気色なくて、結句(=かえって)それに恩を与へて、情けを深うする類の心なり。子細は、秘蔵の器をたくみて割くべきやうなし。吾も人も過ちするは無念なりといへども、咎むるはまた此方の誤りなりと思案して、名人の風俗なり。これによって軍に合うて敗軍するといへども、敢へてその気を屈せずして、よく気を改めて、敗軍の士を集めて出陣するの類なり。
凡そ気に乗ると気に後るるとは雲泥万里なりといへども、乗るも後るるもまた強ひて可なりと為しがたし。ただ道理に因る時は気に乗じ、不可なる時は己が非を知りて、承けて制するを上とする。しかれどもこの国風は、最も潔き風俗なり。次に気広きを以て驕る気強し。口伝。
要は豪快さんのようなものだと言えば、大いに語弊があることだろう。が、この項を読んでいて何となく思い出した。
さて、簡単に語釈などをしておこう。
「秘蔵の道具」というのは、恐らくは茶器などを指すのではないか。後に「器」とあるし。
「それに恩を与へて、情けを深うする」とは、「秘蔵の道具」を壊して恐れ哀しむ者に却って恩顧を与えて目をかけてやるということだ。
「雲泥万里」は雲泥の差と考えるといいだろう。
「乗るも後るるもまた強ひて可なりと為しがたし」とは、気が乗るのも気後れするのもどちらがいいと一概には言えないということだろうか。
「道理に因る時は気に乗じ、不可なる時は己が非を知りて、承けて制するを上とする」とあるのは、少し分かりにくいが、「人国記」をもとに作られた「新人国記」の記述を参考にすると、やることが道理にかなっているなら積極的にやるのがよいし、そうでない時は、状況に応じて臨機応変にやるのがいいってぐらいの意味か。武蔵の国の人間は常にいけいけどんどんで行きがちだって言いたいのだろう。で、「しかれどもこの国風は、もっとも潔き風俗なり」に続くわけだ。
最後に多少欠点があげつらわれるものの、おおむね好意的な評価がなされていると言っていいだろう。
東京でオリンピックが行われるわけだが、福島の問題もあることだし、何でもかんでもいけいけで突っ走らずに、状況を見極めて臨機応変に行う必要がある。都政を預かる方々におかれては、「驕る」ことなく五輪の舵取りをせられたい。「道理に因る時は気に乗じ、不可なる時は己が非を知りて、承けて制するを上とする」ということばを、くれぐれも拳々服膺しなし。国政を預かる方々は地方出身の田舎者集団なわけだけれど、やはりいけいけどんどんではだめだと肝に銘じる必要がある。五輪のために福島が臭いものに蓋をする的な扱いを受けることがあってはならないのである。
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