2013年9月25日水曜日

旧暦8/21 ダブリン新旧

垂渓庵です。

『ユリシーズのダブリン』(写真・松永学 編訳・柳瀬尚紀)という本がある。刊記を見ると、柳瀬さんの『ユリシーズ』(ジェイムズ・ジョイス)訳が出版されだした頃に出ている。出版社も同じなので、ユリシーズブームを狙ったものと思われる。

『ユリシーズ』は、極めて乱暴にまとめると、とある一日、レオポルド・ブルームとスティーブン・ディーダラスのそれぞれがダブリンを彷徨するさまを、さまざまな文体的実験を行いつつ描いたものだ。高校生の頃に、無理矢理丸谷才一さんたちの翻訳で読み通したものの、その後ほとんど手に取らなかった。もはや内容は忘却の彼方で、これ以上詳しい説明なんてできない。

その程度の読者にかかわらず、たまたま古本屋さんで『ユリシーズのダブリン』を見かけて、ぱらぱらと見てみた。柳瀬さんの試訳を読んでも内容は全く思い出せなかったけれど、写真が面白いので買ってみた。

『ユリシーズ』では、ブルームとディーダラスの彷徨する町の様子が、執筆当初──だったっけ──のダブリンの町に極めて忠実に描かれているということだったと思う。その町の様子をユリシーズの抜粋と写真とで紹介しようというのが、『ユリシーズのダブリン』だ。ユリシーズフリークにはたまらない一冊と言えるだろう。そんなフリークがいるのかどうか知らないけれど。

さて、写真を眺めていると、面白いことに気がつく。というのは他でもない。恐らくは出版を計画してから撮られたはずの写真だけで、ブルームやディーダラスがうろうろしたころのダブリンの雰囲気が楽しめてしまうのだ。

『ユリシーズ』の出版は1922年。『ユリシーズのダブリン』の出版が1996年だから、実に70年以上の隔たりがある。それにも関わらず、この濃厚な時代感だ。これは驚くべき事ではないだろうか。

考えてもみてほしい。1922年というと、芥川龍之介がばりばり活躍していた頃だ。彼はその五年後に亡くなる。芥川の生きた東京が、はたして現在どれほど残っているだろう。もちろん、東京は戦災に遭っている。その点を割り引かないといけないけれど、それにしても、総じて日本の都市部は、大正末~昭和初年と比べて、とても大きく変化している。

この差は何なんだろう。ダブリンが経済発展から取り残されたからか。あるいは、歴史的な景観を保存しようとした結果か。確かにアイルランドが経済成長著しいとはあまり聞かない。が、それでもダブリンはアイルランドの首都だ。変化があって当然のように思える。また、『ユリシーズのダブリン』に見られるユリシーズ的な雰囲気を醸し出している写真は、観光名所というよりも、町の一角を切り取ったものが多いように思う。

そんな過去との連続性がどうして存在するのか、はっきりしたことは分からないが、わたしの乏しいヨーロッパ体験を思い出しても、ヨーロッパの街々はは、そんな過去との連続性が残っていることが多いように思う。建造物が石でできているから、というような理由だけではなく、居住空間への態度に彼我の間で差があるのではないかという気がする。それが何かはうまく説明できないけれど。

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