垂渓庵です。
先日、目白三平こと中村武志さんの文章の奇妙さに触れた。内田百閒の弟子にふさわしい妙なこだわりの持ち主で、サラリーマン川柳のごときサラリーマン随筆の書き手とはちょっと違うみたいなのだ。
その後、『実説内田百閒』(雑賀進著)を読んでいて、二人にまつわるエピソードを見つけた。というか、以前読んだのに完全に忘れていた。脳の劣化というやつだ。同書の奥付によれば、雑賀さんは、旧鉄道省鉄道局で勤め上げた人らしい。
阿房列車の相棒平山三郎さんといい、中村武志さんといい、百閒の周りには鉄分の多い人がやたらにいる気がするが、それはさておき。
『実説内田百閒』に収められている「実録・内田百閒」の一節、「意地悪る出版記念会」によると、内田百閒は中村さんの『埋草随筆』の出版記念会でおよそ会の趣旨にふさわしくないことを言い放ったようだ。いわく、このような文章は邪道だ。
雑賀さん自身が、『埋草随筆』に不釣り合いな大仰な記念会だ、という嫉妬混じりの感想を持っていたということだから、百閒の態度については幾分割り引いて見ないといけないだろうけれど、ある程度お二人に近い位置にいた方のようだから、正鵠を射ていると考えていいのではないか。
この出版記念会事件(?)だけのことではなく、雑賀さんは、百閒は中村さんのことを嫌っていたと結論づけている。「明らかに先生が中村氏を嫌っていた事実を私は知っている」とも書いておられる。それがどんな「事実」なのかは書いておられないけれど。
百閒流にいえば、「嫌いだから嫌いだ」ということになるのだろうが、案外中村さんの中に自分と同じへんくつというか、妙なこだわりというか、そんなものを見ていたのかもしれない。
雑賀さんによると、中村さんがつてを頼りに初めて百閒宅を訪れた際、二人は一時間以上も黙ったままで相対していたそうだ。へんくつが二人むすっとして相手の顔を見ていたというところだ。
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