2012年5月31日木曜日

旧暦4/11 むは矛盾のむ

垂渓庵です。

昨日書いたことはこう言い直してもいいだろう。人間は時と場合によって矛盾していると思える言動をするけれど、内面的には、それらが必ずしも矛盾していると感じられるわけではない。その時その時の自分にとって自然な反応だからだ、と。

当然、自分の言動に関しては、よほど注意しておかないと、前後での食い違いに気づかないことになる。外から見た時に自分がどういう風に見えるか、ちゃんと把握するのは案外難しいことなのだ。だから、矛盾を指摘されると心外だったりする。

2012年5月30日水曜日

旧暦4/10 ある意味自然

垂渓庵です。

車に乗っては歩行者に文句を言い、道を歩いては車を呪詛する。それはある意味人間として自然なことだという気もする。人間というものはあいにく首尾一貫するようにはできていない、とも言えるだろう。

その人の気質や状態と置かれた状況、条件などの無限の組み合わせの中で、その場その場では自然に思えることが、それらの条件などを一切捨象して、言動の方向性だけを取り出すと矛盾して見えるということになるだろうか。外面的には首尾一貫していないようだけれど、その人の内面世界では矛盾してなどいないと言い直してもいいかもしれない。

2012年5月29日火曜日

旧暦4/9 ボートの三人

垂渓庵です。

『ボートの三人男』という小説がある。作者はジェローム・クラプカ・ジェローム。丸谷才一さんの訳で中公文庫に入っている。テムズ川の川遊びに出かけた三人組プラス犬の出会った経験を描くユーモア小説だ(ったと思う)。丸谷さんの違和感のない翻訳で、すいすいと読んでいける本だ。その作品に、以下のような部分があったと思う。


2012年5月28日月曜日

旧暦4/8 ぶつかる

垂渓庵です。

最近気づいたことがある。都心部や繁華なところではわりとよく起こることだ。

2012年5月25日金曜日

旧暦4/5 七人

垂渓庵です。

昨日は話があらぬ方に流れてしまった。考えてみれば、小人プロレスはだめで、白雪姫の七人の小人はOKというのも変な話だ。この国のかたちはどういうことになっているのだろうか。

閑話休題。今日は小さい方の人について見てみよう。

2012年5月24日木曜日

旧暦4/4 スモールイズビューティフル

垂渓庵です。

わたしが子供の頃は、女子プロレスの試合が日曜の午後だったかに放送されていた。国際プロレスの試合なども放送されていたような気もする。金網デスマッチなどをやっていたのではなかったろうか。今はなき昭和の香りがぷんぷんする放送だった。

ところで、女子プロレスの放映時には、毎回だったか時々だったか、もはや記憶が定かではないのだけれど、小人プロレスの試合も放送されていたのではなかったか。低身長症のレスラーたちの試合だ。今ではミゼットプロレスなどとも呼ぶようだ。

2012年5月23日水曜日

旧暦4/3 当然女

垂渓庵です。

大男ときたら、次は大女だろう。おおかたの予想としては、もともと男と女には体格差があるから、女の方が少し小さめだろう、というところか。

実際のところは、なかなかに興味深いものがある。

2012年5月22日火曜日

旧暦4/2 上には上

垂渓庵です。

昨日書いた武左衞門、もしも背丈が七尺五寸だったとすると、とんでもない大男だが、『嬉遊笑覧』によると、釈迦嶽雲右衛門も同じく七尺五寸だったようだ。その雲右衛門、朝寝をしている豆腐屋を起こそうと、二回の窓を叩いたという、巨漢っぷりを示す逸話を残している。

随筆類を見ると、その他にも生月鯨太左衛門、鬼勝象之助、丸山権太左衛門など、大男とされる者の名前が幾人も見られる。どれも大きさを意識させる名前ばかりだが、それもそのはず、彼らは力士だったのだ。その背丈を生かした職業としては最適だったということか。あるいは、あまりの背丈ゆえに、一般人に立ち交じっては生きにくかったのかもしれない。

ちなみに、『続飛鳥川』によると、鬼勝象之助は七尺三寸だったようだ。同書には、釈迦嶽の背丈を七尺一寸六分といやに詳しく記している。武左衛門も釈迦嶽も、七尺五寸だったと書かれているのは、概数なのかもしれない。

それにしてもでかい。と思っていると、上には上がいた。

2012年5月21日月曜日

旧暦閏4/1 大男

垂渓庵です。

このところ本にまつわる話題が出てきていない。ここらで一発、古典ネタといこう。江戸時代の大男の話だ。

鈴木棠三という古典と民俗学にわたる研究者がいた。なぞなぞや狂歌などの口承文芸に強かった人だ。その人に「江戸巷談 藤岡屋ばなし」という本がある。研究書というよりも、江戸の末頃に江戸で古本を商っていた藤岡屋の主の日記から、面白そうな記事を抜粋紹介した本だ。藤岡屋自身も面白そうな人なのだが今回は省略して、その本に出てくるエピソードを一つとりあげたい。

2012年5月18日金曜日

旧暦閏3/28 抜本的

垂渓庵です。

先日の行事も含めて、子の通っている園の方針は、保護者も巻き込む的な面が強いように思う。もともとそういう方針できたものと思える。

2012年5月17日木曜日

旧暦閏3/27 なぜにと尖閣諸島寄附金

垂渓庵です。

それにしても、どうしてあんな行事があるのだろう。いや、参加したくないという意味で言っているのではない。純粋に不思議なのだ。参観的な行事を意図しているのなら、あれでは中途半端だし、お母さん達の親睦を深めるという意味でなら、何も持ち上がりの学年でやらなくてもいいのではないかと思うからだ。

2012年5月16日水曜日

旧暦閏3/26 別メニュー

垂渓庵です。

こりゃあ案外楽しいぞ。次は何をやるのだろう。そう思っていると、先生の無情な一言が耳に突き刺さる。「子供たちは別室に行きます。お母さん方は、別メニューでお楽しみください。」

「わたしはお母さんではありません」、「そんなのはやめましょう」などという声の上がるはずもなく、また言えるはずもなく、困惑のうちに取り残されることになった。

2012年5月15日火曜日

旧暦閏3/25 親子でダンス

垂渓庵です。

考えてみると、昨日書いた参観は、お母さん同士の親睦を兼ねていたのではないかと思える。子供達は去年からの持ち上がりなので、園での様子を知るという意味は、実はあまりないのである。

それならそうと最初に言っておいてくれればよかったのにと思うが、言ってくれていたとしても、妻の都合がつかない以上、行かないわけにはいかなかったか。何にしても難儀なことだった。

しかし、 はじめにあった親子で楽しむプログラムはなかなか楽しかった。最初は、親子で体を慣らすダンスというかゲームというか、そんなのがあった。


2012年5月14日月曜日

旧暦閏3/24 アウエィ

垂渓庵です。

先日、子供の通っている幼稚園で親子遠足の行事があった。どうしても妻の都合がつかなかったので、わたしが行くことにした。平日の行事なので、教務部に時間割変更をお願いしての出陣だ。

妻の話によると、平日の園の行事でもけっこうお父さんがいるということだったので、あまり何も考えずに出かけた。集合時刻よりも少し早めに園に着くと、お母さん方がちらほらといた。その時点ではあまり気にしなかったが、集合時刻近くになり、人でごった返すようになった時点でとんでもないことに気づいた。

2012年5月11日金曜日

旧暦閏3/21 自称ドジョウと青山士と正しくあること

垂渓庵です。

昨日、「震災を巡る」というシリーズの文章を新たに公開した。実はこのシリーズは、旧ブログで去年の東日本の震災直後に三週間ほどほぼ隔日で更新を続けた「臨時便」と、その後折に触れて震災に関連して書いた文章の総称だ。

2012年5月10日木曜日

旧暦閏3/20 震災を巡る 品切れの秘密

垂渓庵です。

放射能汚染の実態がよくわからない。人によって言うことが全く違っているし、実際のところ食物にどれほどの放射性物質が付着しているのやらいないのやら、政府や自治体は詳細に発表しようとしない。放射能を心配する声が上がると、風評被害などということばで応じる方々もいる。

風評被害というのは、根も葉もない評判を立てられて、その結果被害を被ることを言う。放射性物質がくっついているかいないかはリアルな問題だ。もしもくっついているのだったら風評被害もくそもない。

低線量被爆が実際に健康にどれほどの害を与えるかはよく分からないところもあるようだ。あるようだが、分からないということは、イコール無害なのではない。今後データが蓄積されて疫学的にこれだけの害を与えることが分かりました、となった時には手遅れだ。特に子を持つ親にしてみれば、切実な問題だと言える。

2012年5月9日水曜日

旧暦閏3/19 現役生

垂渓庵です。

GWも終わってしまった。世の中休日モードでいささか浮かれていたようだが、生徒はさすがに勉強モードだった。と思いたい。思いたいのだけれど、そうではなかったのではないかという懸念もなくなくなくない。あれ。

2012年5月8日火曜日

旧暦閏3/18 ウルトラマン№6

垂渓庵です。

太郎君がはまっていたウルトラマンタロウは第二期ウルトラシリーズに属する作品だ。ウルトラQ、ウルトラマン、ウルトラセブンが第一期ウルトラシリーズを構成し、帰ってきたウルトラマン、ウルトラマンエース、ウルトラマンタロウ、ウルトラマンレオが第二期ウルトラシリーズの作品だ。

2012年5月7日月曜日

旧暦閏3/17 タロウ君

垂渓庵です。

昨日ウルトラマンタロウの替え歌(?)をうちの子と歌っていると書いた。もちろん、うちの子はウルトラマンタロウの世代ではない。タロウの世代はもう四十歳を超えているんじゃないか。それなら親は六十を超えているだろう。主題歌の替え歌など親子で歌っている場合ではない。

2012年5月6日日曜日

旧暦閏3/16 非戦とタロウ

垂渓庵です。

ゴールデンウイーク後半戦も終わろうとしている。わたしも子供につきあって、あちこち出かけた。とは言っても近場ばかりだ。これはわたしの計画性のなさも影響しているが、ゴールデンウイークの人出を避けたいという気持ちもある。渋滞もひどいだろうし。

 だからと言って、家で遊んでばかりいるというのも芸はない。というわけで、穴場を狙って遊びに行く。昨日は、少し遅くなってから出かけてにもかかわらず、渋滞に巻き込まれることもなく、駐車場にも空きがあり、広々と開放的なロケーションの中、敷物を広げ荷物を広げ、散策をしたり虫を捕ったりしながら家族でのんびりと過ごしてきた。その場所は…。

2012年5月2日水曜日

旧暦閏3/12 赤外線異常あるいはプリントアウト

垂渓庵です。

昨日で現代の世相を斬るシリーズの再掲は一段落だ。柄にもないことはよしにしようと思うが、昨日も少し書いたように、情報通信機器の進化には目を瞠るものがある。

昨日、十年以上前に卒業した生徒がやってきた。幸いなことに顔を合わせて程なく名前を思い出すことができた。今は心理学、認知科学、工学の境界領域のようなところで研究をしているらしい。ダマシオやラマチャンドランあたりとやっていることが重なるのか今度聞いてみようと思うが、なかなかに興味深い研究分野のような気がする。

2012年5月1日火曜日

旧暦閏3/11 再掲 ゲームとコンビニと携帯電話6

垂渓庵です。


これは2009年1月に公開した。これでようやっとこのシリーズも終わりだ。分量はそれほど多くはないが、書くのに苦労した。無理に今の世相を斬ろうと考えたのが間違いだったか。やはり身の丈に合ったことをしないといけないと肝に銘じた次第だ。それにしても、この記事を書いたころは、世の中アイフォンだのアンドロイドだの言っちゃいなかったんじゃないか。ますます変化のスピードが加速している感じだ。

以下本文

今回がこのシリーズの最終回になるように努力しようと決意している垂渓庵です。

携帯電話は前の二つと比べると、最も遅く登場しました。

もちろん、わたしの身近には、です。

ポケットにも収まる端末を周りの人間が使い出したのは、今の職場に来てからのこと。

かれこれ十二、三年前か。

いや、もう少し前かもしれないけれど、二十年前ってことはありません。

その携帯電話。

今さらわたしが言うまでもなく、極めて便利です。

わたしのような職種の者でも、もしもこの世から携帯電話がなくなってしまったら、いささか不便さを感じます。