垂渓庵です。
昨日書いた武左衞門、もしも背丈が七尺五寸だったとすると、とんでもない大男だが、『嬉遊笑覧』によると、釈迦嶽雲右衛門も同じく七尺五寸だったようだ。その雲右衛門、朝寝をしている豆腐屋を起こそうと、二回の窓を叩いたという、巨漢っぷりを示す逸話を残している。
随筆類を見ると、その他にも生月鯨太左衛門、鬼勝象之助、丸山権太左衛門など、大男とされる者の名前が幾人も見られる。どれも大きさを意識させる名前ばかりだが、それもそのはず、彼らは力士だったのだ。その背丈を生かした職業としては最適だったということか。あるいは、あまりの背丈ゆえに、一般人に立ち交じっては生きにくかったのかもしれない。
ちなみに、『続飛鳥川』によると、鬼勝象之助は七尺三寸だったようだ。同書には、釈迦嶽の背丈を七尺一寸六分といやに詳しく記している。武左衛門も釈迦嶽も、七尺五寸だったと書かれているのは、概数なのかもしれない。
それにしてもでかい。と思っていると、上には上がいた。
残念ながら、直接本を見たのではなく孫引きになるのだけれど、とある本によると、七尺九寸の大男がいたそうだ。なんと、武左衛門や象之助よりもまだ十数㎝も背丈が高いことになる。その名は阿曽右衛門。彼もやはり力士だったのだろうか。大きさを意識させる名前でないところをみると、違うのかもしれない。
『傍廂』には、雲右衛門を七尺八寸としているが、それでもこの阿曽右衛門の方がまだ大きい。江戸の男たちを頭一つどころか、半身近く抜きんでた彼の見た景色はどんなだったのだろうか。事跡を追ってみたい気もするけれど、ちょっと時間がない。
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