2012年5月11日金曜日

旧暦閏3/21 自称ドジョウと青山士と正しくあること

垂渓庵です。

昨日、「震災を巡る」というシリーズの文章を新たに公開した。実はこのシリーズは、旧ブログで去年の東日本の震災直後に三週間ほどほぼ隔日で更新を続けた「臨時便」と、その後折に触れて震災に関連して書いた文章の総称だ。


震災に関しては、臨時便を含めてけっこうたくさんの記事を書いた。とくに臨時便は、震災時の生々しい映像が繰り返しテレビに登場していた頃に書き始めたもので、やむにやまれぬ感に駆られて書き続けたように記憶している。

今ではさすがにそのころほど切迫した気持ちになることはなくなったが、震災のことを考えると、やはり幾分かは平静な気持ちでいられなくなる。たぶん多くの人の思いも同じではないか。政治家の皆さんや公僕たる公務員諸氏は、何をおいてもその思いが届くシステム作りを行うべきなのではないかと思うが、何やら遅々として進まない。それどころか、震災にかこつけた増税案だけは、ドジョウの名を僭称する首相の下で進んでいる始末だ。どこかに一度書いたように思うが、ほんとうにドジョウに失礼なことだと思う。

公務員諸氏を一様に蔑むつもりはない。中には青山士のような志を持った方もたくさんおられるに違いない。青山は、戦前に活躍した土木技官だ。評伝によれば、なんとパナマ運河の開削にも関わっていた。それだけではなく、後世のためにという志を持って、戦前の日本で治水事業に当たった人で、本当に無私無欲の人だったらしい。政治家の方々も同様だ。大石武一のような人がいないわけあるまいと思う。大石は環境庁の初代長官で、尾瀬ヶ原を守るために、当時の通産省の推進する道路建設を阻止し、水俣病の未認定患者の救済への道を開いた人だ。NHKでその人となりを紹介するロングインタビューが放映されたこともある。

繰り返しになるが、今の公務員諸氏や政治家の方々の中にも、青山や大石と同じ資質や志を持った人はたくさんいるに違いない。問題は、そういう方達の声が通らない、あるいはわたしたちに届かないところにある。何が邪魔をしているのだろうか。

こんなていたらくの世の中で、子供たちに正しくあれと言い続けるのは、けっこうしんどいことである。言いうるとしたら、あんな大人にはなるな、ぐらいだ。それはそれで情けないことなのだけれど。

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