2012年5月24日木曜日

旧暦4/4 スモールイズビューティフル

垂渓庵です。

わたしが子供の頃は、女子プロレスの試合が日曜の午後だったかに放送されていた。国際プロレスの試合なども放送されていたような気もする。金網デスマッチなどをやっていたのではなかったろうか。今はなき昭和の香りがぷんぷんする放送だった。

ところで、女子プロレスの放映時には、毎回だったか時々だったか、もはや記憶が定かではないのだけれど、小人プロレスの試合も放送されていたのではなかったか。低身長症のレスラーたちの試合だ。今ではミゼットプロレスなどとも呼ぶようだ。


コミカルな動きで笑いをとる彼らの試合はとても面白かった。後で聞けば、普通のプロレスとの違いを目指し、笑わせるために真剣に練習やミーティングを重ねて試合に臨んでいたとのことだ。それは面白くて当たり前だ。芸として一流だったと今にして思う。顔でリングをツーッと滑っていくんですぜ。が、そんな小人プロレスも今ではなくなってしまった。

放送局に自粛のムードなどもあったのだろう。実態を見ようともせず、口当たりのいい人道的な意見によって、見たくないものを覆い隠してしまいたいと思う方々の意見が反映されたのだろうと思う。見たくないのは勝手だけれど、その存在まで否定するのはいけないのではないか。

中には差別を助長するというような抗議をした人権団体もあったと聞く。しかし、本人たちは誇りを持って試合をしていたのだ。「笑わせる」ことに命をかけていたと言ってもいい。彼らのそんな思いを無視して、勝手に差別と結びつけて抗議をするというのは、どう考えてもおかしくはないか。それこそ人間の尊厳を踏みにじる行為だ。

自分の試合で笑って笑って笑い死にする人が一人でもいれば本望だ、というようなことを言ったレスラーもいたそうだ。今の若手芸人と言われる人たちに聞きたい。あなたはそれだけの熱い気持ちを持っていますか、と。そう考えると、彼らはほんとうにプロフェッショナルな小人レスラーだったと言えるだろう。

過酷な試合で新たな障害を身に負ってしまったレスラーも多かったと聞く。引退後の再就職も難しかったそうだ。人権屋さんはそんな状況をこそ糾弾すべきではなかったのか。彼らが老後の不安などを抱くことなく、安心して試合に臨める状況をこそ作り出すべきではなかったのか。

大男、大女ときたので、次は小男、小女をと思ったのだが、あらぬ方に話がそれてしまった。小さい人たちについては、明日紹介しよう。

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