垂渓庵です。
『ボートの三人男』という小説がある。作者はジェローム・クラプカ・ジェローム。丸谷才一さんの訳で中公文庫に入っている。テムズ川の川遊びに出かけた三人組プラス犬の出会った経験を描くユーモア小説だ(ったと思う)。丸谷さんの違和感のない翻訳で、すいすいと読んでいける本だ。その作品に、以下のような部分があったと思う。
三人が乗っているボートのそばを蒸気船が通る。三人は横暴な蒸気船に嫌がらせをするために、進路変更を要求する相手の声が聞こえないふりをする。さらに相手は接近するが、やはり聞こえないふりあるいは理解できないふりをする。で、のろのろと相手の進路を阻んだ末、蒸気船が大きく舵を切るか何かして、進路変更をする。昨日書いたわたしの実践は、これに近いものがあるかもしれない。
ところで、同じ作品の別の場面では、語り手──三人のうちの一人という設定だったと思う──が蒸気船に乗っていると、ボートがとてもとろとろと進んでいる。あんなのは交通の迷惑だからぶつかって沈めてしまえばいいと憤っていたように思う。
昨日のやたらにベルを鳴らす連中も、あるいは車でクラクションを鳴らしまくる手合いも、歩いている時は、そんな乗り手に腹を立てるに違いない。あるいは、満員電車に無理矢理乗り込んだ乗客が、後から入ってくる者に「後にしろ」と言うようなものか。身勝手と言えば身勝手な話だ。上記の二つのシーンは離れた章に全然別のエピソードとして出てきたと思うけれど、たぶんジェロームは意図して子の二つのエピソードを作品に仕込んだのだろう。
面白いのは、『ボートの三人男』の出版が1889年ということだ。本格的なモータリゼーションの前にそういう身勝手さをさりげなく作品に描き込むジェロームという人は、世相に敏感な人だったに違いない。テムズ川ではすでに交通戦争が生じていたのかな。
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