垂渓庵です。
昨日書いたことはこう言い直してもいいだろう。人間は時と場合によって矛盾していると思える言動をするけれど、内面的には、それらが必ずしも矛盾していると感じられるわけではない。その時その時の自分にとって自然な反応だからだ、と。
当然、自分の言動に関しては、よほど注意しておかないと、前後での食い違いに気づかないことになる。外から見た時に自分がどういう風に見えるか、ちゃんと把握するのは案外難しいことなのだ。だから、矛盾を指摘されると心外だったりする。
他人の言動に関しては話が別だ。私たちは他人の内面を直接的に知る方法を持っていないため、まずは表面的な部分に目がいってしまう。それでも、矛盾していると思える言動を見た際に、それが相手の内面では整合性がとれているはずだと考えることができればいい。が、実際は、そんな風に相手の事情を忖度してやることは少ない。自分も同じようなものだ、と気づいていない場合、よけいにそうなる。
おとつい紹介したジェローム・クラプカ・ジェロームは、蒸気船を巡る反応を描写することで、人間のそんな愚かしさを笑いの対象にしたと考えていい。それもあくまでもおおらかに。もちろんそれは彼の専売特許ではない。たとえば、吉田兼好も同じだったのではないか、とわたしは思う。そこらあたりについては、明日書いてみよう。
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