2012年5月21日月曜日

旧暦閏4/1 大男

垂渓庵です。

このところ本にまつわる話題が出てきていない。ここらで一発、古典ネタといこう。江戸時代の大男の話だ。

鈴木棠三という古典と民俗学にわたる研究者がいた。なぞなぞや狂歌などの口承文芸に強かった人だ。その人に「江戸巷談 藤岡屋ばなし」という本がある。研究書というよりも、江戸の末頃に江戸で古本を商っていた藤岡屋の主の日記から、面白そうな記事を抜粋紹介した本だ。藤岡屋自身も面白そうな人なのだが今回は省略して、その本に出てくるエピソードを一つとりあげたい。


文政十年(1823年)五月、肥後の国(熊本県)から大男が江戸にやってきた。名前は大空武左衞門。身の丈六尺五寸、体重三十五貫。現代の単位に直すと、身長197㎝、体重135㎏。たしかに大きい。が、ダルビッシュで196㎝-100㎏だそうだから、今ならそれほど大騒ぎをするほどではない。

しかし、手のひらのサイズや足のサイズは意外に大きい。それぞれ一尺八寸(54㎝)に一尺三寸五分(41㎝)だ。ダルビッシュの足のサイズは30㎝だということだ。

それにしても、わざわざ大騒ぎするほどのこともないように思うけれど、熊本藩主細川家の屋敷に置かれていたということだから、当時としては物珍しかったということなのだろう。ちなみに、当時の日本人の成人男子の平均身長はだいたい155㎝~158㎝といったところらしい。今は170㎝を超えているようだ。

当時武左衛門の錦絵が数種発行されたり、手形の図も出版されたということだから、かなり評判を呼んだみたいだ。と書いて念のために検索をかけてみて驚いた。武左右衛門の絵がネット上にアップされている。このサイトにある。上から四つ目に渡辺崋山の描く肉筆画が、その次に国安の描く錦絵が紹介されている。どちらも手足の大きさが特徴的に描かれている。また、「藤岡屋日記」に「やせ形ち」と書かれている通りの体型だったらしいことも窺える。

錦絵の上部の文字をよく見ると、「身丈七尺五寸」と読める。もしもそうだとすると、2m27㎝ということになり、これはかなりの背の高さだ。ジャイアント馬場で209㎝、体重135㎏だ。体重は据え置いてさらに馬場の背を20㎝近く高くしたようなものだから、ますます「やせ形ち」ということになるだろう。ちなみに、人間山脈と呼ばれたアンドレザジャイアントでも公称223㎝だから、その背の高さは際立っている。

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