2012年4月27日金曜日

旧暦閏3/7 教師の仕事

垂渓庵です。

このところ何かと忙しい。ルーチンワークに加えて、降ってわいたようないくつもの案件を並行して進めている。

一つは今年からスクールカウンセラーを導入したのに伴うもの。初年度ということもあり、手探りでの運用が続いている。おかげで何かと用事があるのだ。

2012年4月26日木曜日

旧暦閏3/6 同じ風景

垂渓庵です。

ここ大阪では桜の季節も終わり、暖かい日が続くようになった。勤務校の桜の木もすっかり葉桜となっている。八重桜は今を盛りと咲き誇っているけれど。

どこかに書いたように、今年は担任している学年も高3だ。生徒たちも受験勉強に本腰を入れている。

2012年4月25日水曜日

旧暦閏3/5 再掲 ゲームとコンビニと携帯電話5

垂渓庵です。


これは2009年1月に公開した。記事がずるずると続くうちにとうとう年をまたいでしまった。無計画に書き始めるとこういうことになる。最近いちばん近所のコンビニで気さくなおばちゃんが働くようになった。大手チェーン店にはあるまじき昭和の店に変わっていくのだろうか。今後の展開が注目されるところだ。


以下本文

ああ、とうとう記事が年をまたいでしまった、と慨嘆している垂渓庵です。

あと少しこの記事におつきあい下さい。

あ、今年もよろしくお願いします。

さてさて、前回とりあげたコンビニ、最初は二十四時間営業ではなかったように思います。

朝から夜九時や十時ぐらいまでの営業じゃなかったでしょうか。

それが徐々に時間が延びて、気づけば二十四時間営業。

アパートの近所には、おそらく個人営業と思しきコンビニもどきの店もあったりしました。

が、いつの間にかなくなってしまいました。

店員さんがアットホームでわたしは一番好きだったんですが。

2012年4月24日火曜日

旧暦閏3/4 再掲 コンビニとゲームと携帯電話4

垂渓庵です。


昨日は過去記事の紹介ではなく、臨時に新稿を公開した。今日は先週水曜の続きだ。これは2008年12月に公開した。二日後は大晦日というタイミングだ。もういい加減早く終わらしたいなと思ったのがこのころだったか。なかなか終わらない記事にちょっと飽きが来だしたのだったと思う。どうもわたしには持続性が欠けているようだ。


以下本文 

案に相違してなかなかこの記事が終わらず少々あわてている垂渓庵です。

やっとコンビニの話です。

コンビニが一般化しだしたのはいつごろからでしょうか。

地域差があると思いますが、わたしの身近でコンビニがそこここに見られだしたのは、成人する前後ぐらいだったのではないかと思います。

今から二十数年前ですね。

それまではコンビニのような便利なお店屋さんはありませんでした。

夜中にものを買いに行けるなんて、その頃のわたしから見れば、驚き以外の何ものでもなかったはずです。

今ではそんな感覚はなくなってしまってますが。

2012年4月23日月曜日

旧暦閏3/3 始業式と入園式

垂渓庵です。

先週末、金曜日は記事の更新を忘れてしまった。すまぬすまぬ。

わたしの子供が通う幼稚園では、始業式の数日後に入園式をやることになっているようだ。ふつう、小学校~大学では、入学式をやった後に始業式がくるものだと思うのだが、子供が通っている幼稚園ではそんな日程になっている。

ネットで検索をしてみると、そんな感じの幼稚園は、どうやら他にもありそうだ。それらの幼稚園的にはその順序で式を行うことにそれなりの合理性があるということなのか。始業式で全員揃っていないのは、ちょっと気持ちが悪いんじゃないかという気がしなくはないけれど、全員揃って園長先生の講話を聞くなんてことはないのかもしれない。幼児だし。

2012年4月19日木曜日

旧暦3/29 仏教語

垂渓庵です。

現在わたし達が話す日本語には、とてもたくさんの漢語が含まれている。西洋の進んだ文明を取り入れるために、江戸時代末から明治時代にかけて作られた和製漢語も含めて、その数は膨大なものになる。日常の基本的な語彙は、さすがにもともとの日本語──「やまとことば」あるいは「和語」──が大きな割合を占めているけれど、それでもその全てではない。

「両親」と「ふたおや」、「兄弟」と「あにおとうと」のように、どちらかというと漢語で表す方が自然な概念も多い。また、「愛情」、「家族」のように、対応する「やまとことば」を思い浮かべにくい例も数多くある。漢語を抜きにしては日常生活は成立しないと言っていいだろう。

そんな漢語の中には、仏教用語として日本語に入ってきて、そのまま日常語として用いられるようになったものがいくつもある。「彼岸」や「お盆」、「供養」、「地獄」などはすぐに思いつく。「金輪際」や「有頂天」なども、ある程度仏教に関する知識を持っていれば、仏教用語だと分かるだろう。しかし、次のような場合はどうか。

2012年4月18日水曜日

旧暦3/28 再掲 ゲームとコンビニと携帯電話3

垂渓庵です。

これは2008年12月に公開した。ところでファミコンってもはや死語なんだろうか。気づけば生徒は携帯でゲームをやっていたりする。いや、プロフか何かなのか。まさかフェイスブックってことはあるまい。何にしても、そこらへんの流行り廃りはめまぐるしすぎではあるまいか。

以下本文


垂渓庵です。

さて、わたしたちが小学生の頃はどんな遊びをしていたのでしょうか。

わたしやヒロちゃんたちの例で言うと、基本的には遊びは屋外でした。

裏山を歩きまわったり、ピン球野球に興じたり。

季節によっては山菜採り、虫取り、栗拾いやあけびとりなどなど。

その他にもビー玉、独楽回しやたこ揚げや銀玉鉄砲、火薬で音が鳴る鉄砲、その火薬を先端にセットして投げあげて落とすロケット型の遊具。ザリガニ釣り、えび釣り、沢ガニとり……。

挙げだすときりがありません。

要は、安い玩具や身の回りのもので遊んでいたのです。

2012年4月17日火曜日

旧暦3/27 再掲 ゲームとコンビニと携帯電話2

垂渓庵です。

これは2008年12月に公開した。ヒロちゃんというのは幼なじみだ。コウちゃんやタクと一緒によく遊んだ。その頃の思い出をいくつかブログに書いてある。今は省略するけれど、いつか機会があれば紹介したいと思う。

以下本文

垂渓庵です。

まずひとつめのゲーム。

いわゆるボードゲームじゃありません。

人生ゲームとかモノポリーとか。

消える魔球の野球ゲームもありました。

小さな鉄球か何かを魚雷に見立てる水雷戦のゲームなんてのも。

こんなことやあんなこと、ともに死線を乗り越えてきたヒロちゃんの家で遊び興じたものでした。

ピーコックだとかなんとかいう名前の登場人物たちが出てくる推理ゲームみたいなのもあったような気が…。

しかし、この辺は少し記憶が曖昧です。

何にしても、何もかもがみな懐かしい……。

ああ、いけない。沖田艦長になってしまった。

2012年4月16日月曜日

旧暦3/26 再掲 ゲームとコンビニと携帯電話1

垂渓庵です。

これは2008年12月に公開した。最初は一回で書ききるつもりでいたのだけれど、結局シリーズ化した。一回分のボリュームはそれほど大きくないので、耽読翫士の中では中ネタといったところか。中身はありきたりの分析のような気がしなくもなくなくなかったりする。 初回は導入的な部分で終わっている。それにしても、サブプライムローンか。遠い昔の気がする。

以下本文


すっかりごぶさたしてしまっています。垂渓庵です。何やらばたばたと慌ただしいことが続き、更新を怠ってしまいました。世界に散らばる耽読翫市ファンの皆さん、申し訳ありません。年内はできれば週二の更新を目指して精進したいと思います。と言っても今週は今日だけですけどね。

さて、わたしは、わたしの世代は世の中の猛烈な変化を身を以て直接的に体験した世代ではないかと思っています。

2012年4月13日金曜日

旧暦3/23 再掲 先日脱糞

垂渓庵です。

これは2008年11月に公開した。自分としては面白く思っている記事だ。しかし、Z会の中の人も含めて不快に思う人もいるだろうな。担当さんには好意的なコメントをもらったけれど。そういえば宮下訳の第五巻がなかなか出ないなと思って検索をかけたら、なんと来月発売予定だ。これは忘れずに買わないと。週末は更新を休みます。次は月曜の予定です。


以下本文

かぐわしいタイトルですみません。垂渓庵です。

今日は先日わたしが思わず脱糞してしまった話です。

……。

……。

2012年4月12日木曜日

旧暦3/22 新作

垂渓庵です。

さて、ブログの場所を移しての一発目の記事だ。更新回数の縛りがなくなった分、更新が不定期にならないように気をつけようと思う。

今回は某所に発表した新作の川柳を紹介しよう。川柳作りを始めてすでに一年半になろうとしている。あるいは、まだ一年半か。どちらにしてもまだまだ修行中だ。精進精進。

2012年4月11日水曜日

旧暦3/21 再掲 大学授業星取り表

垂渓庵です。

これは2008年10月に公開した。鈍感なのかもしれないが、わたしは平板で淡々とした話しっぷりの方の話でも、結構面白く聞くことができる。さすがに講演や授業がそうだとちょっときついけれど、中身に興味を持てればわりと平気だったりする。イデ先生やマスダ先生のお話は決して聞かせるものではなかったけれど、中身はすごかった。そんなことを思い出した。講義ノートを探してみようかな。

以下本文

垂渓庵です。

遊びにやってきた卒業生がたまに大学の授業が面白くないとこぼすことがあります。極端な場合には、大学をやめて受験をし直すと言い出すことも。いや、言い出すだけじゃなく実際に大学をやめてしまった者もいます。

自分の学生時代を思い出してみる限り、それなりに面白い授業がいくつもあったんじゃないのかなあという印象があるのですが、実際はどうだったのでしょうか。ガタがきかけている記憶を総動員して検証してみたいと思います。

2012年4月10日火曜日

旧暦3/20 再掲 将棋指し

垂渓庵です。

これは2008年3月に公開した。新年度のばたばたで再掲記事がしばらく途絶えてしまった。これからは、日に一本に減るかもしれないけれど、できるだけ途切れないようにしよう。そうしないと再掲記事がいつまでたっても終わらない。ところで、将棋を指さなくなって何年経つだろう。もう定跡もほとんど忘れてしまった。雁木囲いなんて今でも使われているのだろうか。舟囲いとかも。

以下本文

垂渓庵です。

みなさんは小さなころに何になりたかったですか。
わたしは科特隊の隊員になりたかったです。
いや、ホシノ少年になりたかったような気もします。
いずれにしても、あの胸の流星バッジにはひどく憧れました。

2012年4月7日土曜日

旧暦3/17 再掲 ハーディと源氏物語

垂渓庵です。

これは2008年9月に公開した。最初に一川誠の番宣をしていたのだけれど、今回は省略した。本文が妙な出だしになっているのはそういうわけだ。
さて、この記事は以前に紹介した「ヴォネガットと斎藤緑雨」に通じるものがあるのではないかと思う。割と自信を持っているネタの一つだ。源氏物語を授業で取り上げる際にも触れたいところだけれど、ハーディの存在自体を知らない生徒に説明するのが結構難しい。というわけで、残念ながら授業中に話すことはほとんどない。年度初めで忙しくなってきた。とりあえず今日の更新はこの一本のみ。

以下本文

垂渓庵です。

さてさて、本題に戻りましょう。どうもここんとこ耽読も翫市もしていないっぽい話が続いてしまいました。またもや看板に偽りありってことになってます。ここらで本のネタをひとつ。

以前から気になっているのですが、19世紀イギリスの小説家トマス・ハーディの小説は昨今どれぐらい読まれているのでしょうか。そう、「テス」や「ジュード」の作者のハーディです。ハイディハイディフレハイディホウの○大ハンバーグじゃありません。

……。ええと、ちょっと気になったので検索をかけてみました。結果はこんな感じです。
この中には英語の教科書版がかなり含まれているようです。英語学習の教材としては別として、今ではあまり読まれなくなっているということでしょうか。かく言うわたしもハーディの小説は短編集をいくつか読んだだけ。実は「テス」も「ジュード」も読んでません。

2012年4月6日金曜日

旧暦3/16 再掲 ハンニバル

垂渓庵です。

これは2007年12月に公開した。マヘリア・ジャクソンを紹介したついでに、音楽つながりで過去にさかのぼって記事を拾ってみた。さっきアマゾンで検索した限りでは、ハンニバルのCDはあまり売られていないようだ。特にここに紹介した2枚はともに中古での取り扱いとなっている。手軽に手に入らいだろうけれど、機会があったら聴いてみてください。

以下本文

垂渓庵です。

世の中には、怒濤のごとき迫力を感じさせる人がいます。あなたの身の回りにもきっといることでしょう。奔流のような活力の人が。歴史的人物にもそのような人がたくさんいます。

たとえばワグナーやマーラーやオルフなど。わたしは彼らにこの上ない迫力を感じます。もっとも、あまり熱心にクラシックを聴くわけではないのですが。小説家で言うなら、小松左京、バルザック、デュマあたり。哲学者ならニーチェ。

こう書くと、次のような異論がホウハイと湧き起こってくるかも知れません。「ベートーベンの立場はどうなる」とか、「音楽に迫力があるのと作曲家自身に迫力があるかどうかとは別だ」とか、「バルザックは顔の印象だけからじゃないのか」とか、「小松たち三人は体型の共通点から言ってるんだろ」とか、「哲学と 活力ってなんかしっくりこないぞ」とか…。

旧暦3/16 再掲 元気の素

垂渓庵です。

これは2008年8月に公開した。マヘリア・ジャクソンは今も好きだ。写真や映像を見る限り、ごっつくて顔も豪快だけれど、何ともいえずかわいらしい表情を見せることがある。そんな時は可憐と言っていい心持ちがする。とりあえず1枚聴いてみたいという人にはLive at Newport 1958あたりがおすすめだろう。もっと聴きたいという人は、Gospels Spirituals & Hymns1・2(それぞれ2枚組)を聴いてみてください。

以下本文

垂渓庵です。

落ち込み気味なときにこれがあると元気になるというものが、みなさんおありなのではないでしょうか。たとえば本であるとか、歌であるとか。

あるいは、この人に会うと元気づけられるということもあるでしょうし、ある場所に行くと勇気がわいてくるということもあるでしょう。

一つだけと限ったわけでもないと思います。わたしの場合もいろいろ当てはまるものがあります。たとえば「木に学べ」の西岡常一さんの聞き語りCDや「リト ル・トリー」。隆慶一郎さんの時代小説も元気を与えてくれます。元気の出てくる飲み友達もいます。また、山を歩いていると、下界のことなどどうでもよく なってきます。

2012年4月5日木曜日

旧暦3/15 原級留置、いわゆる留年

垂渓庵です。

わたしの住まいする大阪府では見直すべきだという議論が起こっているが、これまでのところ、中学までは欠席が多かろうが成績が悪かろうが、年度が変われば生徒は原則として自動的に進級してきた。しかし、高校はそうはいかない。欠席日数や成績に縛りが設けられていて、必要な要件を満たさなければ進級することはできない。わたしの勤務校でもそれは同じだ。昨年度も進級に必要な単位をとれなかった生徒が一人原級留置となった。

2012年4月4日水曜日

旧暦3/14 再掲 ブーム到来?

垂渓庵です。

これは今年の2月に更新したもの。ごく最近の記事だ。この困った人の作品が近々発行される雑誌にどのような形で載るのかは不明だ。載らなくてもいいのではないかと思わなくもない。わたしの作品は相も変わらず川柳らしくないけれど、下に載せたタケトさんの句と比べれば屁でもない。やはりタケトさんはすごい。


以下本文


垂渓庵です。

また文体をいじってみよう。

同僚の間で川柳ブームが到来しつつある。新たに何人かが川柳を始めそうなのだ。超局地的で小規模ではあるが、あえてブームと言いたいと思う。

大学の先輩で同僚でもあるKさんは、学生の頃から句作を続けている。御年五十余歳にして柳歴すでに四十年。仕事をリタイアするあたりから句を作りだす方が多い中、川柳界では若手に属するのだが、すでに大ベテランである。現代川柳界の巨人橘高薫風に師事したその句は精妙不可思議。川柳とはこんなものという先入観を軽く打ち壊す句を作る人だ。次代のホープと言っていいだろう。

旧暦3/14 再掲 年が明けたとスマヌスマヌと川柳

垂渓庵です。

これは今年の1月に公開したばかりだ。 やはり句のわけのわからなさは健在だ。「水たまり」の句は類想句をどこかで見たような気がしてずっと気になっている。どこでだったんだろうか。句作りを続けていくといずれまた似たようなことがあるんだろうな。

以下本文

垂渓庵です。

年が明けた。去年を総括してみるに、修学旅行や体調不良などで後半がけっこうきつかったかもしれない。ブログの更新も不定期になってしまったし。修学旅行も終わり、体調も戻ったので、今年はぜひそんなことがないようにしたいと思う。

それと、去年の年末の記事が書きかけのままでアップされてしまっていた。スマヌスマヌ。記事を完成させて再アップしました。よければ御覧下さい。

さて、先月某所に掲載された川柳をお目にかけよう。

旧暦3/14 再掲 近作

垂渓庵です。

これは去年の11月に公開した。一連の修学旅行の記事というのは今回は省略。いつか機会があれば紹介したいと思う。修学旅行は主担だったため、帰阪後どうも脱力感がなかなか抜けなかった。というわけで、若干お茶を濁した的な記事になっている。

以下本文

垂渓庵です。

以前書いた川柳の句作り。まだしこしこと継続中だ。

先週一連の記事にした修学旅行中にも多少は作った。今回はそれをご紹介しよう。と言っても、なかなか落ち着いて句を作る時間をとれなかったので、数は少ない。

サトウキビ富士の樹海よりも深し

あるだけの花で飾らん壕の中

今日だけは横死した人によりそわん

壕の闇ケースに入れて持ち帰る

壕の闇死者の悲しみ荘厳す

仰ぎ見る青空闇の残滓あり

スーサイドクリフ陽光のもとただ静か

語り継ぐひめゆり身じろがぬ生徒

平和学習の後、ホテルで作った句だ。サトウキビの句のみ浮いたような感じになっているが、これは宮古島での実感を句にしたもの。あとは平和学習を踏まえた 句だ。生徒の身に成り代わった感じか。宿泊行事中に詠んだものはそうなることが多い。もう少し時間をおいて、旅行を振り返る句を作ってみようかな。

旧暦3/14 再掲 残念!

垂渓庵です。

これは去年の9月に公開した。正直に言ってベスト20に残ったのは予想外だった。変化球を一つぐらい混ぜておいてもいいか、というようなことだったのではないかと想像している。何にしても一区でも多くを選んでもらえるように精進精進。二本立てのもう一本は省略。月4本のノルマをクリアするための苦肉の策だったと思う。


以下本文

垂渓庵です。

今日は二本立てでいってみたいと思う。

ちょっと前に書いたように思うけれど、おれは最近毎月とある柳誌に川柳を投句している。こないだ年間に投句した自分のベスト五句を選んで送るコンテストみたいなのがあった。

旧暦3/14 再掲 柳人気分

垂渓庵です。

これは去年の6月に公開したもの。こうやって自分の作った川柳関係の記事を集めて眺めてみると、やっぱり変な句を作っているなあと思う。川柳誌を眺めてみても、いわゆる川柳のイメージを逸脱した句を作っている人はそれほど多くはない。いつもいいのかなあと思いながら投句している。

以下本文

垂渓庵です。

最近、川柳を作っている。と言っても、以前から機会あるごとに作ってはいた。が、それはスペシャルな取り組みだった。引率で宿泊行事に行ったり、生徒に川柳大会の応募用の句を作らせる際についでに作ったり、と。ここのところの作句は違う。某誌に投句するために、毎月定期的に句を作っているのだ。気分は柳人である。

それで上達したかというと、?だけれど、句を作るのはけっこう面白い。数ヶ月の間に延べで百句以上は作ったろう。その中で、幸いなことに某欄に採用された句をいくつか紹介してみよう。

旧暦3/14 再掲 旅中吟?

垂渓庵です。

これは2009年3月に公開した。この時は本格的に句を作るというよりは、試しに作ってみたという感じだ。スキー合宿は、教員の待機時間がやたらに長い。そのつれづれに少し遊んでみたというところか。薫風さんの作品の後に自作を並べるのは気が引けるけれど、勢いで紹介してしまうことにする。スキー合宿の様子を書いた記事は今回は紹介を見送った。いずれ機会があればここに紹介してもいいかと考えている。


以下本文

先週から今週にかけて引率でスキーに行ってきました。

寒かったです。

グレゴール・ザムザならぬミズコール・サムサでした。

という極北級のギャグよりも寒かったです。

旧暦3/14 再掲 薫る風──橘高薫風讃

垂渓庵です。

2008年3月に公開したもの。一昨年の秋ぐらいから川柳を作り出している。今から振り返ってみれば、ここに書いた薫風さんの叙勲記念川柳大会に出席したのが遠い縁となっている。薫風さんの川柳は、川柳の通念を軽々と飛び越えていると思う。今日は川柳関係の記事をアップしようと思う。全部で7本。大盤振る舞いだ。

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垂渓庵です。

風が薫るのは五月なわけですが、今は三月。暦の上では春とはいえ、まだまだ寒いです。この時期、風が薫るのを感じるにはどうすればいいでしょうか。

海外へ脱出する、薫る風の成分を分析して科学的に合成してエアコンから噴霧する、などなどの方法が考えられますが、いずれも面倒です。わたしならもっと簡単に風が薫るのを感じることが出来ます。

2012年4月3日火曜日

旧暦3/13 再掲 プロスロギオン

垂渓庵です。

これも2008年8月に公開した。こういうものを読むのは実はあまり嫌いではない。もっとも、日常的に手に取るわけではないけれど。「ユニークな倫理の先生」についての記事は今回は省略したが、ほんとにユニークな人だった。哲学に興味を持つようになったのは、確実にあの人の影響だ。

以下本文

垂渓庵です。

今日は旧暦の七夕です。が、今回はそれに相応しい風流な話題では全然ありません。どちらかというと、暑さを亢進させるような話です。耽読翫市はあなたを忍耐力の限界にいざないます。

旧暦3/13 再掲 異議申し立て

垂渓庵です。

これは2008年8月に公開したもの。ソルジェニーツィンの死を受けて、レギュラー更新ではなく、「臨時便」として公開したのだった。彼のその後に触れるドキュメンタリーが去年BSで放映されていたはずだ。初めて「収容所群島」を読んだ頃は、過去の人という意識でいたが、死ぬ直前まで現在の人であり続けたのだと、そのドキュメンタリーを見て知った。あらためて合掌。


以下本文

垂渓庵です。

本の中にはとても重いものがあります。重量ではありません。内容が、です。あまりにも悲惨な事実を告げるものや、人間性の闇を白日の下にさらすものがいわゆる重い本になるかと思います。

2012年4月2日月曜日

旧暦3/12 再掲 灯りまたたく黒門町に

垂渓庵です。

これは2008年7月に公開した。ニイミという友人はこういう古いものに強い。ごくたまに顔を合わせた時は、この手の古い話題で盛り上がることになる。何年か前にコンビニでウルトラマンのフィギュアが売られていると教えてくれたのも彼だ。それからせっせと買い求め、ダブっているものを交換したりしたのだったか。得難い友人の一人である。

以下本文

垂渓庵です。

わたしは昭和四十年代に少年時代を送りました。外で遊び回ることが多かったですが、テレビも嫌いではありませんでした。印象に残っている番組やテレビCMもいくつかあります。たとえば次のようなの。みなさんはご存じでしょうか。

旧暦3/12 再掲 木を植えた男たち

垂渓庵です。

これは2008年6月に公開した。『木を植えた男』はご覧になった方も多いことだろう。『星になったチロ』は、それほどメジャーではないかもしれない。でも、わたしの少年時代の星好きには有名だった。と思う。わたしが見つけたのはこの二つの話のつながりだけれど、世界中にこんな人たちがいるのではないかという気がする。

以下本文。

垂渓庵です。

『木を植えた男』というアニメーションがあります。吹き替え版は三國連太郎さんが語りを担当しています。もとはフランスの作家ジャン・ジオノの短編をフレデリック・バックがアニメ化しました。
ご存じない方のためにあらすじを説明しましょう。

語り手が、徒歩旅行中に木などが生えていない不毛の山地を通りかかりました。その土地に住む人々の心も荒れすさんでいました。そこに一人の羊飼いがいまし た。彼は荒れ果てた大地にたった一人で木を植え続けていました。彼は黙々と木を植え続けたのです。大きな戦争をはさんで、語り手が再びその地を訪れてみる と、そこは木々の生い茂る楽園のような地になっていました。

わたしは大学生のころにこのアニメを見てけっこう感動したのですが、今回はこの作品の魅力について語りたいのではありません。上のあらすじを念頭に置いて、次の話を読んで下さい。

2012年4月1日日曜日

旧暦3/11 再掲 WIPE AWAY ALL YOUR TEARS

垂渓庵です。

これは2008年8月に公開した。わたしはガンダムももちろん好きだし、その作品性の高さも十二分に評価しているけれど、バイファムとどちらが好きかと言われると、文句なしにバイファムだ。どうも最近はこういうストレートな作品が減っているような気がする。

以下本文

垂渓庵です。

タイトルを見て、おっと思った方は、わたしと同世代でなおかつロボットアニメファンだったに違いありません。

ついでにアウシタンだったとしてもわたしは驚きません。望むところです。

そのあたりのことを書くと長くなるので省略しますが。

で、このタイトル、とある作品のオープニング曲の一節なのですが、何のオープニングだったかわかりますか?

旧暦3/11 再掲 圧縮と解凍

垂渓庵です。

これは2008年5月に公開した。コンピュータ用語は他にも奇妙なものがあるかもしれないと思いながら、そのままほったらかしてある。自動詞と他動詞の組み合わせについては、他にもいくつか例を拾っていて、訂正が必要かなとおもう部分がないでもないけれど、そのままにしてある。いずれ補訂しないといけないかな。


以下本文

垂渓庵です。

パソコンでファイルのやりとりをする際に、圧縮、解凍を行うことがあります。その際にはLHASAのような圧縮・解凍ソフトを用いるわけですね。仕組みがわからないながら、便利なので日常的に使っているのですが、あの「圧縮」と「解凍」ということば、落ちついて考えてみるとちょっと妙なところがあります。