垂渓庵です。
これは2008年12月に公開した。ところでファミコンってもはや死語なんだろうか。気づけば生徒は携帯でゲームをやっていたりする。いや、プロフか何かなのか。まさかフェイスブックってことはあるまい。何にしても、そこらへんの流行り廃りはめまぐるしすぎではあるまいか。
以下本文
垂渓庵です。
さて、わたしたちが小学生の頃はどんな遊びをしていたのでしょうか。
わたしやヒロちゃんたちの例で言うと、基本的には遊びは屋外でした。
裏山を歩きまわったり、ピン球野球に興じたり。
季節によっては山菜採り、虫取り、栗拾いやあけびとりなどなど。
その他にもビー玉、独楽回しやたこ揚げや銀玉鉄砲、火薬で音が鳴る鉄砲、その火薬を先端にセットして投げあげて落とすロケット型の遊具。ザリガニ釣り、えび釣り、沢ガニとり……。
挙げだすときりがありません。
要は、安い玩具や身の回りのもので遊んでいたのです。
天候などの加減でやむをえず室内で遊ぶ際は、先に挙げたボードゲームをするぐらいだったでしょうか。
あとは、トランプや花札などのカードゲームか将棋ぐらい。
あ、糸巻きでタンクを作ったり、割り箸と輪ゴムでゴム鉄砲を作ったりもしていましたね。
そうそう、スクリューキットなどを買ってきて、舟形に削った機にとりつけて船を作ったりもしていました。
空き箱で空母を作り、紙で戦闘機を作り、その他艦船も作り、艦隊を作って遊んだりもしていました。
おお、スーパーカー消しゴムをボールペンの後ろのノック部分で飛ばして遊ぶなんてのもありました。
主に教室での遊びでしたけど。
タイレルフォードサーティーフォー──今はティレルと言うのでしょうか──がわたしのお気に入りでした。
所長もきっとやっていたことでしょう。
いずれにしても、高価な遊具は持っていませんでした。
高価な玩具がなかったわけではありません。
が、誰もがそれを持っている、なんていう状況ではなかった。
昨今のファミコンの隆盛ぶりは当時からすると隔世の感があるわけですね。
遊び方にしても、みんなで集まっていっしょに一つのことをやる、ってのが基本だったように思います。
今はそれがかなり変化してしまっているようです。
わたしのマンションの小中学生たちが、マンション前の広場や入り口で集まっている様子を見ていると、それぞれが小型のゲーム機を操って遊んでいます。
遊んでいるのは別々のソフト。
うちの生徒に聞いても集まってゲームをやってた、なんてことをよく言っています。
が、その間ほとんど会話がなかったりすることもあるとか。
それならわざわざ集まらなくてもいいのではないのか。
というよりも、そんな状態を「一緒に遊んでいる」と言っていいものかどうか。
ゲーム機の登場によって子供同士の関係が根本的に変わってきているのではないかという気がしてなりません。
ゲーム脳なんてものがあるのかどうか、ほんとのところわたしは疑問に思っているのですが、ゲーム機が圧倒的に魅力的な遊具だというのはなんとなく分かります。
ゲーム機やソフトはえらい勢いで進化しています。
いずれは友達と遊ぶよりもゲーム機で遊んでいた方が面白い、なんてことになってしまいそうです。
いや、すでにそう感じる人が少なからず存在するのかもしれません。
ゲーム機がすでに存在している世界でどっぷりとそれに浸かって生きることが人間にどんな影響を与えるのか。
ゲーム脳などというようなことではなく、人と人との関係性の構築という点で、わたしには気になって仕方がありません。
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