垂渓庵です。
これは去年の6月に公開したもの。こうやって自分の作った川柳関係の記事を集めて眺めてみると、やっぱり変な句を作っているなあと思う。川柳誌を眺めてみても、いわゆる川柳のイメージを逸脱した句を作っている人はそれほど多くはない。いつもいいのかなあと思いながら投句している。
以下本文
垂渓庵です。
最近、川柳を作っている。と言っても、以前から機会あるごとに作ってはいた。が、それはスペシャルな取り組みだった。引率で宿泊行事に行ったり、生徒に川柳大会の応募用の句を作らせる際についでに作ったり、と。ここのところの作句は違う。某誌に投句するために、毎月定期的に句を作っているのだ。気分は柳人である。
それで上達したかというと、?だけれど、句を作るのはけっこう面白い。数ヶ月の間に延べで百句以上は作ったろう。その中で、幸いなことに某欄に採用された句をいくつか紹介してみよう。
妄想を形にしたかカリフラワー
えのき茸見つめ思わず掻きむしる
靴はかぬ物乞い一人立ちつくす
葉を落とし空をひび割れさす木立
ひな祭り午睡の夢がにじみ出す
チョコボール手が触れるように渡す
カーテンの濾過する日ざしはんなりと
早朝の空気山並み正しうす
樹を揺らし遊ぶのは誰 それは風
冬の朝思わずドラえもんの手に
どうだろうか。素人の手すさびだから、まあこんなもんだという気もする。一方で、ちょっと変わっているのじゃないかという自負もちょびっとないではない。
変わっているのは、おれに才能があるからではなく、ひとえに、市井の人事をうがった句を作るのが不得意なためなのだけれど。どうもその手の句を作るのは苦手なのだ。
で、結局、何やら俳句のような要素もありいの、変に文学的というか物語的な要素もありいの、俗の中でも俗なアニメなどの要素もありいのという具合になって
しまっている。何やらこの耽読翫市のありようと似ていることに今気づいた。雀百までわしゃ九十九までか。ちょっとショックだ。
投句したものの中には、実は、より変奇なものも含まれる。これでも、選者によって篩にかけられているので、まだ穏当にまとまっている方だ。
おれが投句している某欄の選者は、非常に端正な句を作られる方で、おれは実はその選者さんのような句作りにあこがれている。その方のような、王道を行く句を作りたいと常々思っているのだ。が、それがなかなか難しい。というか、おれの資質では無理かも知れない。
というようなことをあれやこれやと考えながら、これからも句を作っていこうと思う。
最後に 友の生きてあることうれしただ嬉し
神戸の地震の折にも思ったことだ。ヤタニ君、元気かな。アーさん、負けないで下さい。
0 件のコメント:
コメントを投稿