2012年4月26日木曜日

旧暦閏3/6 同じ風景

垂渓庵です。

ここ大阪では桜の季節も終わり、暖かい日が続くようになった。勤務校の桜の木もすっかり葉桜となっている。八重桜は今を盛りと咲き誇っているけれど。

どこかに書いたように、今年は担任している学年も高3だ。生徒たちも受験勉強に本腰を入れている。


彼らとのつきあいも今年で六年目に入る。中学1年から高校3年まで、思えば長い道のりだ。12歳で中学に入学した彼らも今年は18歳になる。

わたしは生徒に対して過剰に思い入れはしない方だと思うが、さすがに今は思うところがなくもない。たとえば上に書いた桜。わたしと彼らとは、毎年勤務校の同じ桜を見続けてきたわけだが、来年は違う。私の見る風景を彼らが見ることはなくなる。

もっと言うなら、彼らが留年でもしない限り、わたしの風景の中に彼らはいなくなるし、彼らの風景の中にわたしはいなくなる。さすがに留年してまで風景を共有してほしいとは思わない。そんなのは願い下げだ。けれども、今後何かの折りにこういう思いが去来することになるのかもしれない。

と書くと、わたしがセンチメンタルな人間のように思えてくるかもしれないが、それは誤解だと言えるだろう。あくまでも何かの折にそういう気がするだけで、その時も悲しくなったり泣きたくなったりするわけではない。何やらそれが不思議なことのように思えてくるのだ。

ともあれ、来年は彼らも旅立ちの時となる。六年間ともに過ごすのも何かの縁だ。できるだけ思い通りの進路に進めてやりたいという程度の親切心は持ち合わせている。というわけで、今日も彼らの甘い見通しをつぶし、焦りの局地まで追い込んでいくのである。

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